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永遠の夢に向かって敗れざる人々

 

敗れざる人々

敗れざる人々












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三洋電機株式会社



























二度売られた三洋電機社員のいま

日本でも大企業神話が崩壊して久しい。実際、2010年にパナソニックの完全子会社になった三洋電機は、ピーク時に10万人を数えた従業員のうち、今もパナソニックで働いているのはわずか9000人だけだ。残る9万1000人は散り散りになった。ソニーやシャープでも人員削減が続く。だが心ならずも会社を去った人々は敗者ではない。板切れにしがみつき、傷ついた仲間に肩を貸しながら自力で泳ぐ彼らは「敗れざる人々」だ。リストラが続く電機大手で。会社更生法の適用を受けた日本航空(JAL)で。『会社が消えた日 三洋電機10万人のそれから』(日経BP社)の著者、日本経済新聞編集委員・大西康之が敗れざる人々の闘いを追う。


非情の金網フェンス

三洋電機の冷蔵庫、洗濯機事業部門。ここで働いていた人々は、パナソニックによる三洋電機の買収で一度はパナソニックの一員になった。だがそれから3年もたたないうちに、パナソニックは両事業を中国の家電大手、ハイアールに売却した。彼らは今、中国企業の一員として働いている。一度はライバル企業に買われ、落ち着く間もなく今中国企業に売られた。数奇な運命をたどった彼らの「その後」を追ってみる。群馬県大泉町。東武小泉線の終点、小泉駅からしばらく歩くと三洋電機の旧東京製作所が見えてくる。今はパナソニックの社内カンパニーであるアプライアンス社の冷蔵庫、コールドチェーン(業務用冷凍・冷蔵装置)事業の拠点になっている。三洋電機時代は冷蔵庫の主力生産拠点で、ピーク時には1万5000人が働いた。円高に伴う生産の海外シフトが続き、2009年にパナソニックが三洋電機を買収したころには6000人まで減った。工場の所有権がパナソニックに移った後、敷地内にあった半導体事業は米オン・セミコンダクターに、冷蔵庫と洗濯機事業は中国のハイアールに売却された。会社解体の痕跡がこれほどはっきりと見える場所も珍しい。会社解体を象徴するのが2012年末に張り巡らされた金網のフェンスである。高さ2メートルほどのフェンスはパナソニックの敷地に「それ以外の会社」の社員が入れないように敷設されている。フェンスが設置されたことを知らなかった出入りの業者の車が夜中に激突する事故があり、その後、フェンスの上に赤いランプが灯るようになった。フェンスはいよいよ物々しさを増した。この敷地内で働いている人のほとんどは2009年まで、三洋電機の社員だった。パナソニックがフェンスを張り巡らせた目的は、セキュリティーの確保や知財流出を防ぐことだと思われるが、かつて同じ釜の飯を食ってきた人々を分断するフェンスはいかにも不気味だ。元三洋の社員たちは全長数キロメールに及ぶフェンスを忌み嫌い「パナの壁」と呼んでいる。敷地内にある共用の食堂も、食事を受け取る場所は同じだが、食べるテーブルは別々に分かれている。構内の通路で昔なじみの仲間とすれ違うと挨拶はするが、立ち話でも仕事の話はご法度だ。すれ違いざま「よお、元気か」と声を掛け合う度に、社員は解体された企業の悲しさを痛感する。


今は楽しくてしかたない

三洋電機の冷蔵庫、洗濯機事業を買収したハイアールは、ハイアール・アジア・インターナショナル(HAI)というアジア統括会社を作り、その下に国内の開発、販売部門と海外の工場、販売拠点を配置した。旧東京製作所にあるのは冷蔵庫R&Dセンターである。約150人の元三洋電機社員がダークグリーンの作業服を着て働いている。「彼らは常に中国や東南アジアを飛び回り、現地で技術指導や共同開発を進めています」。冷蔵庫R&Dセンター長でHAIの副社長を兼ねる土屋秀昭は今はそう説明する。三洋電機時代には考えられなかったようなグローバルな働き方をしている。洗濯機の開発を担当するある技術者は「ハイアールになってから初めて、世界中の洗剤メーカーと話をしました。国が違うとこれほど洗濯の仕方が違うのか、と驚きました」と話す。世界市場を見据えた製品開発が「楽しくてしかたない」と笑みをこぼす。洗濯機と洗剤の相性は大切だから、洗濯機の技術者が洗剤メーカーの人間と情報交換するのは珍しいことではない。だが三洋電機時代の相談相手は、日本の洗剤メーカーに限られていた。「日本で通用すれば世界で通用するはず」という思い込みがあったからだ。しかし衣類の汚れは食べ物の種類によっても違う。カレーと豆板醤と醤油では汚れの質が違う。高温多湿の日本では、汚れ物をその日のうちに洗うが、汗をかきにくい寒冷地の洗濯は週に一度。一週間で染み付いた汚れはなかなかに厄介だ。日本で売れる洗濯機がそのまま世界で売れるほど甘くはない。


数倍の速さで時間が流れている

2014年2月、ハイアール・アジア・インターナショナルR&D本部のディレクター、松本雅和は中国・青島のハイアール本社にいた。松本は三洋電機の洗濯機事業部門で30年以上、開発を担当してきた。ハイアールの一員になったその日から、中国語はおろか、英語もまともにしゃべれない松本のパソコンに毎日、何十通もの英文メールが入るようになった。まさか50歳を過ぎて、30代、40代の中国人を前にプレゼンテーションをすることになるとは思いもしなかった。このとき松本が日本から携えていったアイデアの一つは「ツインパルセーター」という二つの撹拌羽根を持つ縦型の洗濯機だった。日本の洗濯機の主流はドラム式だが、乾燥機を兼ねるドラム式は25万円~35万円もする。松本たちは世界で売れる洗濯機を作るため、あえて縦型に逆戻りし、しかも二つの撹拌羽根で衣類のからみを抑制し、ドラム式並みの節水性能を実現した。「面白い。日本でヒットしたら、世界展開のためのモデル開発もお願いしましょう」青島でのプレゼンで、松本はハイアールの幹部から、こんな言質を取り付け、心の中で「よしっ」と快哉を叫んだ。ハイアールグループでは年に2回、5月と9月に5ヵ国のR&Dセンターが競うグローバル・コンペがある。青島の本社が「こんな製品を作れないか」とオファーを出すと、5ヵ国のセンターが「うちにやらせてくれ」と手を上げる。白物家電の開発に関しては、現時点で日本の実力が飛びぬけているから、松本たちは本社のオファーを注意深く吟味し、利益が出せそうなものに絞って手を上げる。松本が驚いたのは開発が決まってからのスピード感だ。日本なら2、3年は企画を温めるところだが、ハイアールでは企画が決まると本社から「すぐ作れ」と号令がかかり、半年後には製品が店頭に並ぶ。品質基準などで譲れないところは、いくら本社がせっついても「無理なものは無理」と突っぱねるが、それでも数倍の速さで時間が流れている感覚だ。


踊る「Made in Japan」の文字

余分な機能をそぎ落としたことで、ツインパルセーターの希望小売価格は一番大きい10キログラム用で12万円程度に抑えられた。しかも驚くべきことに、4機種のうち3機種は滋賀県にある旧三洋電機の国内工場で生産する。工夫に工夫を重ねることで「白物家電は日本で作ったのでは採算が合わない」という常識を覆した。その快挙を誇示するかのように、フロントパネルには「Made in Japan」の文字が踊る。三洋電機からパナソニック、そしてハイアールと流浪した技術者たちが、世界で戦うポテンシャルを秘めた国産洗濯機を復活させたのである。ハイアールの中で生き残るために絶対にやってはいけないこと。それは「できない、無理だと、あきらめることだ」と松本は言う。Made in Japanをあきらめ、イノベーションをあきらめた結果としての日本の電機産業の衰退。その果てに三洋電機という会社は消えてしまった。「日本でのもの作りをあきらめたくない」。その思いが中国企業で働く元三洋電機の社員たちを突き動かしている。2014年春にハイアール・アジア・インターナショナルの社長に就任した伊藤嘉明はバンコク出身で、日本コカ・コーラや中国レノボ、ソニー・ピクチャーズエンタテインメントなどのグローバル企業を渡り歩いてきた。その伊藤が、アジア各国にある旧三洋電機の生産拠点を視察し「三洋電機の先輩たちは、本当に素晴らしいオペレーションを遺してくれた」と感嘆の声を漏らした。伊藤は6月、デザイン家電で売り出し中のamadana(アマダナ)と提携し、同社社長の熊本浩志をチーフ・クリエイティブ・オフィサーに招いた。アマダナにはソニーを辞めたデザイナーやエンジニアも数多く在籍している。電機大手は国内工場を閉鎖するばかりだが、そこから追われた「敗れざる人々」は、まだMade in Japanをあきらめていない。



















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