FC2ブログ

永遠の夢に向かってジョニ・ミッチェル

 

ジョニ・ミッチェル

ジョニ・ミッチェル














joni-mitchell-9410294-2-raw.jpg















「サークル・ゲーム-The Circle Game」


































ジョニ・ミッチェル(Joni Mitchell)は、カナダの歌手、シンガーソングライター。本名はロバータ・ジョーン・アンダーソン(Roberta Joan Anderson)。カナダ・アルバータ州のフォート・マクラウド生まれ。母はスコットランド及びアイルランド系で、父はノルウェー系であった。1960年代にトロントでフォーク歌手として音楽活動を開始。トロントのフォーククラブでミシガン州出身のアメリカ人のフォーク・シンガー、チャック・ミッチェルと出会う。1965年6月にチャックと結婚し、名字をアンダーソンからミッチェルに変える。二人はデトロイトで音楽活動を行った。1967年初めに離婚し、ニューヨーク市マンハッタン区の南西部に位置するチェルシーに移り住む。1968年3月、『Song to a Seagull』でアルバム・デビュー。1969年、2枚目のアルバム『青春の光と影(Clouds)』の成功により、その名が広く知られるようになった。同アルバムに収録された「青春の光と影(Both Sides, Now)」はジュディ・コリンズほか多くのミュージシャンにカバーされた。1970年、3枚目のアルバム『レディズ・オブ・ザ・キャニオン』を発表。映画『いちご白書』の主題歌としてバフィ・セント=マリーに歌われた「サークル・ゲーム」のセルフ・カバー、CSN&Yのバージョンで知られる「ウッドストック」、環境問題を題材にした「ビッグ・イエロー・タクシー」などを収録。同アルバムが全英8位を記録してからは、イギリスでも安定した人気を保つようになる。1971年のアルバム『ブルー』は名盤として評価が高く、『ローリング・ストーン』誌が選んだ「オールタイム・グレイテスト・アルバム500」(2012年版)において女性ソロ・アーティストとしては最高位の30位にランクされた。1972年、リプリーズ・レコードからアサイラム・レコードに移籍。同年11月、アルバム『バラにおくる』を発表。シングルカットされた「恋するラジオ」がヒット。1974年1月に発表されたアルバム『コート・アンド・スパーク』はアメリカのアルバムチャートで2位、カナダのアルバムチャートで1位を記録した。同アルバムからシングルカットされた「ヘルプ・ミー」は全米7位、「パリの自由人」は全米22位を記録した。1975年のローリング・サンダー・レヴューに参加。1976年11月、アルバム『逃避行』を発表。レコーディング時にジャコ・パストリアスと出会う。1970年代後半には、パストリアスのほかハービー・ハンコックやラリー・カールトン、ウェイン・ショーター、マイケル・ブレッカー、パット・メセニーなどのジャズ、クロスオーバー系のミュージシャンと多く共演した。1982年、アルバム『ワイルド・シングス・ラン・ファースト』のレコーディングに参加したベーシストのラリー・クライン(Larry Klein)と結婚。1983年に唯一の単独日本公演を行っている。1994年、クラインと離婚。2007年、ハービー・ハンコックがジョニに捧げたアルバム『リヴァー〜ジョニ・ミッチェルへのオマージュ』で、ジョニ本人もゲスト・ボーカリストとして参加。同アルバムはグラミー賞最優秀アルバム賞を獲得した。音楽だけでなく、多彩な芸術家として写真や絵画など多方面で活動しており、自らCDジャケットをデザインしたアルバムがグラミー賞のベスト・アルバム・パッケージ部門を受賞したほか、個展などでもその才能を遺憾なく発揮している。






















Guide
  •  …この記事と同じカテゴリの前後記事へのページナビ
  • nbsp;…この記事の前後に投稿された記事へのページナビ
         
ブランディ 2  ←ブランディ 2 【2020年03月】の更新記事一覧 →THE PASSENGER  THE PASSENGER
 

~ Comment ~

  ※コメントの編集用
  シークレットコメントにする (管理者のみ表示)

~ Trackback ~

卜ラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

MENU anime_down3.gif