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永遠の夢に向かって『ミスター・タンブリン・マン』

 

『ミスター・タンブリン・マン』

『ミスター・タンブリン・マン』












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Mr. Tambourine Man - The Byrds































バーズ (The Byrds) は、アメリカのフォーク・ロック、カントリー・ロック・バンドである。ロサンゼルスで、ロジャー・マッギン、ジーン・クラーク、デヴィッド・クロスビーによって結成され、その後すぐにベーシストのクリス・ヒルマンと、ドラマーのマイケル・クラークが加入した。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第45位。バーズは、60年代から70年代前半のフォークロックのジャンルでは、特に著名なグループだった。 ボブ・ディランがエレクトリック・ギターを持ちポール・バターフィールド・ブルース・バンドを伴ってステージに立ち、フォークとブルースにロックの融合を示唆する一方で、フォーク・リヴァイヴァル運動の若者はジャグ・バンドなどに親しむ一方、ビートルズや66年以降のザ・ビーチ・ボーイズに注目しフォークをロック風に演奏する錯誤のなか、バーズはヒット曲「ミスター・タンブリン・マン」でフォークロックの概念を確立させた。 21世紀に入ってこのバンドに関して、ビートルズとボブ・ディランの中間、という表現がよく見受けられるが、フォークミュージックの温かな雰囲気と、ロックンロールのリズム感と豊かなハーモニーを融合させた独特のサウンドが持ち味であった。1965年にボブ・ディランの作った「ミスター・タンブリン・マン」でデビュー。次いで『旧約聖書』の「コヘレトの言葉(伝道の書)」3章を元に曲をつけたピート・シーガーの「ターン・ターン・ターン(Turn, Turn, Turn! (To Everything There is a Season))」が発売されたが、これら2曲はバーズのシンボル的な曲となった。バンドは1964年にロサンゼルスで結成され、それぞれソロ・フォーク歌手やフォークグループに参加し、コーヒー・ハウスやトルバドール・クラブ、ウィスキー・ア・ゴーゴーといったライブ・スポットで演奏活動し、ビートルズの影響でバンド結成を思い立ち集結した。地元のエレクトラ・レコードから「ザ・ビーフィターズ(The Beefeaters」)名義でシングル制作で録音(当時未発表)、ジム・ディクソン(Jim Dickson (producer))に注目されデモ・テープを制作している(後の1969年に『プリフライト(Preflyte』として発売)。1966年初頭にはジーン・クラークが脱退、3月14日当時のサイケデリック・ムーブメントを先取りした先進的な楽曲「Eight Miles High」が発表される。この曲は世界初のサイケデリック・ロックとする見方もある。ロジャー・マッギンの12弦ギターの奏でるうねるような不協和音的イントロは、ジョン・コルトレーンの影響を多分に感じさせる。また、ラヴィ・シャンカールなどのインド音楽からの影響もあったことであろう。この作品のインパクトは大きく、いくつかのラジオ局が「ドラッグ体験を連想させる」との理由で放送禁止にした。後のビートルズの『リボルバー』などの作風に大きな影響を与えている。 ロジャー・マッギンの12弦ギターは、ジョージ・ハリスンの影響が最も強い。本人も、ビデオ等で述べている。1967年アルバム『昨日よりも若く(Younger Than Yesterday)』は、コンセプト・アルバムでは先駆的作品の一つだった。評価が分かれた前作アルバム『霧の5次元(Fifth Dimension)』以降、マッギンの独裁へ主にクロスビーが反発を強め、メンバー間それぞれの不和軋轢へ発展していた。荒れるメンバー間の関係に、折からのヒッピーカルチャーで浮かれる音楽ファンとロックスターを担ぐ音楽ビジネス業界を皮肉り、受け入れられない創作意欲への批判を嘆く厭世的な感傷(「昨日よりも若く」希望を、前進を。)を込めた社会風刺的な内容だった。前作で行ったサイケデリックな楽曲アレンジの先駆は流行になり、関連する実験的音楽、音響効果を最小限に留めフォークロックスタイルに立ち返ったが思索的な詞などは受け入れられず、程なくビートルズのサイケデリック作品『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』が話題をさらい、脚光を浴びる機会を逸してしまった。『名うてのバード兄弟(The Notorious Byrd Brothers)』は1968年1月15日に発売された。先行して1967年10月20日発売されたシングル「Goin' Back」は、ジェリー・ゴフィンとキャロル・キング の作品で既にダスティ・スプリングフィールドが1966年7月発表した楽曲で、完成が遅れていた『名うてのバード兄弟』へ臨時処置の発売だった。アルバム録音はメンバー間の確執から6月から12月の長期間に渡って収録され、クロスビーは自作曲「Triad」を巡って孤立し楽曲制作の遅れから完成の目途が立たない新作アルバムに場繋ぎとして、この「Goin' Back」カバーでシングル発表することをレーベル側から提案された。一度はバンドとして拒絶し説得に応じスタジオ入りしたのは発売の11日前だった。その後、「Goin' Back」はアルバムへの採用が決まりクロスビーは前後して脱退、楽曲不足にジーン・クラークが招聘され一時的に復帰した。バンドの協調結束力は崩れマッギンのワンマン体制下メンバーチェンジに繋がった。グラム・パーソンズが唯一参加した『ロデオの恋人(Sweetheart Of The Rodeo)』(1968年)は、ナッシュビルで録音され、サイケデリックな作風から一転、カントリーの要素が色濃く反映されている。アルバム発表後、グラム・パーソンズは、クリス・ヒルマンとともに脱退し、オリジナル・メンバーはロジャー・マッギンただ一人になった。その後はクラレンス・ホワイトのギターをはじめ、高い演奏能力でカントリー・ロックを聴かせるライブ・バンドとして定着するが新曲やチャート・アクションとは無縁の状況で惰性的な活動に陥り、マッギンはソロ活動で打開を構想し活動を非公式に休止し、1973年に突然オリジナル・メンバーで再編し、アサイラム・レコードからアルバムを発表し新作記念のライブ活動を短期間行ったが同年中に解散した。1991年にはロックの殿堂入りを果たした。脱退したメンバーのその後は、ジーン・クラークはソロ活動、デヴィッド・クロスビーはクロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング、クリス・ヒルマンはグラム・パーソンズと共にフライング・ブリトー・ブラザーズを結成している。



















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