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永遠の夢に向かってロング・クール・ウーマン

 

ロング・クール・ウーマン

ロング・クール・ウーマン















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The Hollies - Long Cool Woman






































ザ・ホリーズ(The Hollies)は、イギリスのロックバンド。ホリーズというバンド名は、メンバーが好きだったバディ・ホリー(Buddy Holly)に由来するという説と、命名時期がクリスマスシーズンでヒイラギ(holly)に由来するという説、またその2つを掛け合わせたという説がある。ホリーズの始まりは、アラン・クラークとグラハム・ナッシュの2人が5歳の時にマンチェスター市内の小学校の同級生として出会ったことが契機となっている。2人は親友となり、ギターを弾きながら歌うコーラス・デュオを結成。エヴァリー・ブラザーズの影響をうけた「リッキー・アンド・デイン(ヤング)」というこのデュオは活動の場を広げ、エリック・ヘイドックがベーシストとして在籍していたバンドとの共演を経て、2人はヘイドックと意気投合し新バンドの結成を思い立つ。そしてドラムのドン・ラスボーン、リードギターのヴィック・ファレルを加え、1962年に「ドミネイターズ・オブ・リズム」というバンドが結成された。同年12月、マンチェスターの名門ライブハウス、オアシス・クラブに出演した際、楽屋で『バンド名の紹介はどうする?』とクラブの人間に問われたメンバーは、『そうだなぁ。今夜はホリーズと紹介しておいてくれ』と答える。ホリーズ誕生の瞬間である。当時の英国北部は、加熱するビートルズ人気を受けてデビューを目指すバンドが多かった。ファレルは安定した生活を捨ててプロになる事に難色を示し、バンドを脱退してしまう。ギタリスト不在となったホリーズの急場を凌ごうとチーサムが目を付けたのは、マンチェスター近郊で活躍していたアマチュアバンド「ザ・ドルフィンズ」のギタリストで16歳のトニー・ヒックスだった。1963年1月、ホリーズの演奏を観に訪れたロン・リチャーズは彼らの才能と可能性を確信し、すぐさまEMIのオーディションに呼び彼らは合格した。ホリーズは、EMIパーロフォンからのデビューが決定する。1963年4月に、ホリーズのプロとして初のレコーディングが、アビイ・ロードにあるEMIスタジオで行われる。ホリーズはその後、数多くの曲をこのアビー・ロード・スタジオで録音することとなる。そして翌5月にシングル「(Ain't That) Just Like Me」でレコード・デビュー[1]。全英25位という幸先の良いスタートを切った。だが、ラスボーンの技量に満足していなかったリチャーズはドラマーの交代を勧め、ラスボーンはロード・マネージャーに転向。新しいドラマーには、ヒックスの「ザ・ドルフィンズ」時代の僚友ボビー・エリオットが抜擢される。ドラマーがエリオットに交代し、ホリーズは一気に加速を始める。11月に発表した3枚目のシングル「ステイ」が初の全英トップ・テン入りを果たし、翌64年1月に発売したファースト・アルバム『ステイ・ウィズ・ザ・ホリーズ』は、全英2位の大ヒットを記録する。この人気により、デビュー1年未満の新人バンドでありながら、3月にはNMEポールウィナーズ・コンサート出演の栄誉を勝ち取ることとなった。66年のシングル「バスストップ」[2]はホリーズにとって記念すべき一曲となった。「バスストップ」は全英5位、全米でも5位にまで昇る大ヒット曲となり、ホリーズの世界的な知名度を上昇させた。「バスストップ」は21世紀に入ってからもラジオでオンエアされるなど、エバーグリーンの一曲となっている。1967年6月、サイケデリック色の強いアルバム『エボリューション』を発表。シングルでは「キャリー・アン」、「キング・マイダス」(作詞作曲はグラハム・ナッシュ)などを発表。同年11月にはコンセプト・アルバム『バタフライ』を発表した。この件と、次のアルバムでボブ・ディランを取り上げることについて、時期尚早と難色を示したグラハム・ナッシュは1968年末に脱退。ナッシュは、ザ・バーズを脱退したデヴィッド・クロスビー、バッファロー・スプリングフィールドのスティーブン・スティルスと共にクロスビー、スティルス&ナッシュを結成した。後にニール・ヤングも加わり、CSN&Yとなった。なおナッシュ離脱前の1968年4月に、大手町のサンケイホールと渋谷公会堂で来日公演を果たしている。一方のホリーズは1969年2月、スインギン・ブルージーンズのテリー・シルヴェスターを加えシングル「ごめんねスザンヌ」を発表。また同年5月、アルバム『ホリーズ・シング・ディラン』を発表した。72年には「ロング・クール・ウーマン」(喪服の女)が全米でもヒットした。さらにソフトロックの「安らぎの世界へ」(1974年)もヒットしている。その後は、80年代にカムバック・ヒットを放ったのが目立つ程度だが、グループは音楽活動を継続し、ファンを喜ばせた。1996年、『Buddy Holly Tribute~Not Fade Away』に収録の『Peggy Sue Got Married』はバディ・ホリーのオリジナル音源にホリーズがコーラスと演奏を加えたものである。 このレコーディングの為にナッシュが一時的に復帰。2010年、ロックの殿堂入りを果たす。

ヴィンス・ニール(Vincent Neil Wharton)は、アメリカのロックバンド、モトリー・クルーのヴォーカリスト、航空会社社長。アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス出身。






















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