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永遠の夢に向かって『八月がくるたびに』

 

『八月がくるたびに』

『八月がくるたびに』















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長崎市公式観光サイト「 あっ!とながさき」















































長崎原爆投下から74年(1945年8月9日)

第二次世界大戦の太平洋戦争のさなか、アメリカが8月6日に日本の広島に、8月9日には長崎に原爆を落とした。あれから74年が経つ。1945年7月の終わりに、イギリス、中国、アメリカの「ポツダム宣言」による降伏の呼びかけに応じた日本は、「無条件降伏」を宣言した。日本は1945年8月のはじめに連合国側に「合意による和解」の提案をしたが認められず、8月6日から12日の週、月曜日に広島(ひろしま)、木曜日には長崎(ながさき)に原爆(原子爆弾)が落とされ、2つの都市は破滅した。広島に落とされたTNT火薬約1万3000トン相当の破壊力を持つウラン型原爆は、爆心地で摂氏3000度もの熱をつくりだし、広島の約7割を破滅させた。爆心地から1.5キロ以内の範囲はいたるところが崩壊した原爆で約8万人が即死、1945年の12月末までに約1万4000人が死亡した。原爆で負傷した多くの人は医療手当も受けられないまま死亡した。広島に救援に来た人々も原爆の後に発生した放射能の黒い雨の被害に遭い死亡した。長崎には上空約500メートルの地点からTNT火薬約2万2000トンの破壊力を持つ原爆が投下された。長崎の周りを囲む山により遮断されたものの、原爆により約7万人が即死、長崎の半分が破滅した。当時の日本の天皇(昭和天皇)は8月15日に発表したメッセージで、「戦争を続けることは国民を滅亡させることになる」と表明し、日本は無条件降伏をすると宣言した。広島は軍事基地、長崎は重工業の企業があったことから、原爆投下の目標地に選ばれたと言われている。長崎への原爆投下は、太平洋で続いていた戦争を完全に終結させた。原爆による死者の数は、アメリカは11万7000人、日本は50万人近くと発表している。その後74年が経ったにもかかわらず、何故アメリカが原爆を落とすことで戦争を終わらせるという選択をしたのか、今もなお完全にはわかっていない。原爆が落とされてから74年、「被爆者(ひばくしゃ)」と呼ばれる原爆による被害者の平均年齢は82歳を超えた。年々高齢化が進み、原爆の体験を次世代にどのように伝えるかが問われている。





















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