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永遠の夢に向かってライセンスト・トゥ・イル

 

ライセンスト・トゥ・イル

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歴史は、マイク・D、キング・アドロック、そしてMCAの3人で知られるビースティ・ボーイズのデビュー・アルバム『Licensed To Ill』に寛容過ぎたのだろうか? たしかに見過ごすことのできない好ましくない側面もあるが、その激しいノリで1986年11月に我々が履いていたストライプチューブの靴下が吹っ飛んだことを忘れてはならない。個人的には『Licensed To Ill』発売の1年前に見た映画『クラッシュ・グルーブ』にマイケル・ダイヤモンドと二人のアダムス(ヤウクとホロヴィッツ)がカメオ出演していて、彼らが登場した瞬間に画面が華やかになったのを覚えている。映画はビースティ・ボーイズのレーベル、デフ・ジャムをモデルとした物語だった。デフ・ジャムはプロデューサーでDJのリック・ルービンとマネージャーのラッセル・シモンズが立ち上げたレーベルだ。彼らのシングル「She’s On It」を見て、7歳だった自分はスパニッシュ・フライは何だろうと思っていた。40歳になった今でも良く分かっていない。どっちにしろ、ジャケットでは、誰かが19リットルのボトルを持っていたのは知っている。1986年11月15日当時、全米アルバム・チャートのTOP10にランキングされていたアーティストの中には、ボストン、ボン・ジョヴィ、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース、シンディ・ローパー、ティナ・ターナー、ライオネル・リッチー、ビリー・ジョエル、そしてマドンナがいた。我々のアンチ・ヒーローであるビースティ・ボーイズは1985年にマドンナと全米ツアーを敢行し、観客の中にいた親子たちを混乱させた。私はアナハイム・スタジアムで開催されていたライヴに遅れて到着し、あと数分でビースティ・ボーイズを見逃すところだった。その当時はまだ世界はヒップホップ色には染まっていなかった。そして『Licensed To Ill』が発売された。アルバム・タイトルは、1965年のジェームズ・ボンドを模倣した映画『Licensed To Kill』(邦題:殺しの免許証)をもじったものだ。不思議なことに、3年後には本物のジェームズ・ボンド映画『Licensed To Kill』(邦題:007 消されたライセンス)が公開されている。それは、アートを模倣したアートのさらなる模倣だったのか?コラージュ・アーティストのワールド・B・オームスが手掛けたアルバムの見開きジャケットには崖に衝突した飛行機が描かれている。鏡に写すと飛行機の番号3MTA3が“EAT ME”(くそくらえ)と読み取れる。それは偶然ではない。他にも下品なスローガンが含まれており、それらはリック・ルービンによる考案だと言われており(メンバーたちは実際には嫌がっていたらしい)、それはロックン・ロールの行き過ぎた行為を受け入れると同時に、激しく風刺もしている。リリックでも危ない橋を渡っているビースティ・ボーイズは、派手に遊ぶ男子大学生やお決まりのロックスターなどをふざけたテーマとして取り上げ、彼らを笑い者にしている。彼らはそういった境界線をぼやかすことで商業的に成功し、ロック界へのクロスオーヴァーも可能にした。そのきっかけとなった楽曲「(You Gotta) Fight For Your Right (To Party!)」はアダム・ヤウクと友人のトム・クッシュマンが作曲。基本的にはドラムマシンを使用したハードロック・トラックで、皮肉が分からないMTVの視聴者はビースティ・ボーイズが次のトゥイステッド・シスターだと思ったかも知れない。同じデフ・ジャム・レーベルのスレイヤーのギタリスト、ケリー・キングをフィーチャリング「No Sleep Till Brooklyn」も同様のギャグだった。それらの曲はヒップホップ・グループ、Run-D.M.C.からインスピレーションを得て作られたもので、Run-D.M.C.が2年前に出した「Rock Box」はラップとロックの要素を融合している。Run-D.M.C.はビースティ・ボーイズにとって色々な面で手本となった。音量の大きいドラムとシャウトするヴォーカルでメンバー同士が互いのフレーズを歌い終える。そして勿論Run-D.M.C.が『Licensed To Ill』に収録されている「Slow And Low」を書いたという事実もある。元々それは彼らのデモとしてレコーディングされていたものだったが(ルービンがプロデュースを手掛けた)、アルバムに収録されることはなかった。「Paul Revere」の最初の4フレーズはRun(ジョー・シモンズ)がビースティ・ボーイズ用に作ったものだ。「Paul Revere」の音楽的原点についての議論が巻き起こった際に、Runはティー・ラ・ロックの「It’s Yours」を逆回転して作ったと主張している。しかしながら、アダム・ホロヴィッツの主張によれば、当時『The Jimi Hendrix Experience』に夢中だったアダム・ヤウクがローランドTR-808のドラムマシンでビートを作り、それを逆再生したのだ、と言う。ジミ・ヘンドリックスのバンドが「Are You Experienced」のイントロのドラムビートで同じ手法を採用している。振り返ってみると、『Licensed To Ill』のサウンドがどれだけ進んでいたのかが見落とされがちであることに気付くだろう。ヒップホップは速いスピードで進化してきたが、1986年のあの複雑な構造に勝るものはなく、例えば「The New Style」では、トラックが途中で停止し、以降全く違う方向へと向かっていく。「The New Style」はその後250枚以上のレコードによってサンプリングされている。ビースティ・ボーイズはただの模範ラッパーたちではないことを証明し、他とは一線を画す存在となった。ユニークで多様な音楽パレットを生み出したのだ。アルバムに収録された13楽曲(厳密に言えば10トラック)にはそういったサンプリングの要素が散りばめられており、4つの文化が混在している。ヒップホップ、オールドソウルやディスコやジャズ・レコード、ハードロック、そしてパンクだ。ビースティ・ボーイズはスタジアム・ロックを敵だと思ってきた。初めはスケートボード・ハードコア・パンク・バンドとして活動し始め、ネクロスやミリオンズ・オブ・デッドコップスらと同類だと思われていたが、1983年から84年にラップへと移行した。同じようにパンクからヒップホップへと転身したリック・ルービンが3人にフェザーカットとデニムに身を包んだジャンルを紹介した。ザ・アールズの1962年のヒット「Remember Then」を彷彿させる「Girls」では、ドゥーワップの影響が聴き取れる。ルービンが手掛けたLL・クール・Jのデビュー・アルバム『Radio』ではルービンの影響はまばらで率直だが、『Licensed To Ill』の制作には非常に時間をかけた。実際完成までに2年を費やした。その次元で考えると、エンジェル・ダストを使ったとか、コメディアンのフィリス・ディラーと『ミスター・エド』や『農園天国』のテーマ曲に合わせてラップしたと自慢するのは普通じゃないかも知れないが、ビースティ・ボーイズにとっては良くある出来事だったのだろう。1987年3月7日に『Licensed To Ill』はヒップホップ作品としては初めて全米アルバム・チャートの首位を飾った。その後も7週連続で首位をキープしたため、おそらく当時のブルース・ホーンズビーやジェネシス、ジャネット・ジャクソンは悔しい思いをしたことだろう。そうして、やがてヒップホップの世界は迎え入れられた。2015年になる頃、このアルバムは1000万枚のセールスを達成し、ダイヤモンド・ディスクを獲得した。80年代に生まれたものでその業績を成し遂げたホップホップ作品は他にはない。その点においては、歴史はこのアルバムに優しかったと言えるだろう。同時にメインストリームの音楽ファン、上層部の音楽評論家、そしてその間にいる大勢の人々がビースティ・ボーイズに魅了された。そしてこれからも魅了され続けるのだ。
























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