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中島飛行機

中島飛行機















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中島飛行機









































中島飛行機株式会社小泉製作所
→旧・三洋電機株式会社東京製作所
→現・パナソニック株式会社東京製作所


1938年航空機増産の政府方針に応え、太田製作所の大拡張と陸軍発動機専門工場の武蔵野製作所を建設した。ところが海軍は之に刺激され、海軍工場の独立拡充命令を発し、発動機は多摩製作所、機体は1940年小泉製作所(現群馬県大泉町・旧・三洋電機株式会社東京製作所・現在はパナソニック東京製作所の工場)を建設した。小泉製作所は敷地東西に914m(運動場なども併設され加えると1200m)、南北に853mの132万平方メートルの東洋一の大工場といわれた。主として機体組み立てであったが、板金部品プレスや成形溶接に加え燃料油圧系統パイプ類も生産した。なお機械部品は同じに建設した尾島工場(現在の三菱電機群馬工場)から、また尾翼や胴体の一部は館林の分工場(織物工場を接収)から供給した。生産した機種は圧倒的な量産の「零式艦上戦闘機(零戦)」であるが、また「97式艦攻」、「零式輸送機(ダグラスDC-3)」や「2式水戦」、夜間戦闘機「月光」などを生産した。その他に空技廠設計の「銀河」や97艦攻の後継機「天山」、高速偵察機「彩雲」等、1941年から1945年までの間に約99000機の量産をした。従業員は1940年に55000人から1945年最終的には何と68000人もの人々が働いていた。1機完成すると、工場の大扉(幅30m、高さ15m以上もある)が開かれ、その度に君が代と社歌が演奏され従業員みんなで見送る儀式が恒例であった。(後にスパイに生産能力が知れるといって軍から中止させられた) 設計開発部門も太田製作所から小泉製作所に移ったのである。移動してからの開発体制は、従来の1機種1グループ方式から、専門グループ方式に変更され、空力班、重量班、構造班、動力班、降着装置班、操縦装置班、電装班、兵装班など、共通機能別体制となった。また標準化を進めるために統制班が設けられ、効率的な開発を目指した。中島からは何度も、陸軍機と海軍機の部品の共通標準化を提案したが、両方のエゴが出て歩み寄ることなく非効率な体制に泣かざるを得なかった。ここで新たに開発され量産された機体としては「天山」「彩雲」があり、開発試作の機体としては4発の「連山」、双発局地戦闘機「天雷」、双発ジェットエンジンの特殊攻撃機「橘花」などがあげられる。小泉製作所への空襲は最初は1945年2月25日で太田製作所と同日に米国海軍艦載機が来襲し、111発の通常爆弾を投下し43発が東半分の建屋を中心に命中し、組立中の銀河43機に損害がでて、更に治工具に被害が及びその後の銀河の生産が極めて困難となった。また死傷者も21名に及んだ。2回目は4月3日の夜間でB29が通常爆弾24発と焼夷弾4発を投下し、約半数は工場に命中して板金工場が壊滅的損害を受けた。


大泉町

大泉町(おおいずみまち)は、群馬県邑楽郡の町である。人口は約4万人で、群馬県内では最も人口の多い町である。また、人口密度は北関東3県(茨城県、栃木県、群馬県)の市町村の中で最も高い。また、外国人人口の比率も県内一(2019年7月)で、人口の約1割はブラジルやペルー出身の日系人という特徴を持っている。近年は、ネパール人も移住している。また、隣接する太田市と共に日系人労働者が多い町である。 SUBARU大泉工場や味の素冷凍食品関東工場、パナソニック(旧三洋電機東京製作所)、凸版印刷群馬工場など工業が盛んで、これらの企業からの税収があるため、交付金不交付団体を続けていたが、2010年度の交付金の再算定で400万円の財源不足となり34年ぶりに交付団体に転落した。なお、財政力指数に関しては2006年までは群馬県内で一番の高さであったが、2007年に多野郡上野村に抜かれ、第2位が当町、第3位が邑楽郡明和町と続く。県内の自治体で生産年齢人口割合が最も高い自治体でもある。2011年度には再び不交付団体となっている。

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