FC2ブログ

永遠の夢に向かって「人生の空から」

 

「人生の空から」

「人生の空から」















20161102-02.jpg















松山千春 日本コロムビアオフィシャルサイト




































「人生の空から(たびのそらから)」は、松山千春が1980年9月21日(日曜日)にリリースした9枚目のシングルである。松山千春らが設立したNEWSレコードからの第1弾シングルで、同社リリースの作品としては、1980年5月5日(月曜日)にリリースされていた松山千春のオリジナル・アルバム『浪漫』(ろまん)に続く2作目に当たる。2枚組・4曲入りのシングルであった。松山千春(まつやま ちはる)は日本のフォークシンガー。北海道足寄郡足寄町(あしょろちょう)出身。身長170cm。体重55kg。血液型はO型。いて座。北海道足寄高等学校卒業。1975年に「全国フォーク音楽祭」の北海道大会に出場するも落選。1976年にSTVラジオの竹田健二ディレクターに見出され、同局の「サンデージャンボスペシャル」内の15分コーナー『千春のひとりうた』でメディアデビュー。1977年1月25日(火曜日)、「旅立ち」でレコードデビューを果たすが、1977年8月27日(土曜日)、二人三脚で歩んできた竹田健二ディレクターが急性心不全のため36歳で急逝(きゅうせい)し、一時失意に陥る。 しかしこれが契機となり、1977年10月には個人事務所として「オフィス・パンタ」(現在のオフィス・ゲンキ)が設立され(正式な法人設立は1978年1月17日)、 松山千春をバックアップすることになる。1977年10月には『オールナイトニッポン』水曜2部のパーソナリティに起用され全国区の人気に。(これに伴い『サンデージャンボスペシャル』からは降板した)。1978年4月には月曜1部に昇格し全国区の知名度を更に得るようになる。同年に発売したシングル「季節の中で」が大ヒットしたことで一気にスターダムを駆け上り、 以後も多数のヒット曲を出し、ニューミュージック界で確固たる地位を築くに至った。主な代表曲に「大空と大地の中で」「長い夜」「君を忘れない」などがある。1982年7月24日(土曜日)には札幌・真駒内屋外競技場にて5万人コンサート「大いなる愛よ夢よ’82」を開催。1984年には『オレたちひょうきん族』内の『タケちゃんマン』に使用された「ビックリ箱のうた」の作詞・作曲を手がけた。1985年12月に結婚し、一児(長女)をもうける。 デビュー以来精力的にコンサート活動を続けた。2007年には、コンサート公演回数が2000回に達した。 コンサート動員数は相変わらず好調で、映画、ラジオ、ドラマ出演、雑誌「月刊松山SAGA」「月刊松山捨石」の発行、論評など、歌手以外の方面へ活動範囲を広げている。長らく自由民主党北海道連青年部名誉会長を務め、鈴木宗男や明石康らの支援を行なってきたが、鈴木の離党に伴い自らも離党し名誉会長職を辞任。 鈴木と共に地域政党新党大地を結党した。新党大地の名付け親は松山であり、「大空と大地の中で」(着うたフル・ゴールド認定、日本レコード協会)は新党大地のテーマ曲である。

2018年9月14日(金曜日)














422629e1-6ad7-4494-82d2-f13b946f5f80.png





















Guide
  •  …この記事と同じカテゴリの前後記事へのページナビ
  • nbsp;…この記事の前後に投稿された記事へのページナビ
         
Let it Rock, Bye Bye Johnny  ←Let it Rock, Bye Bye Johnny 【2018年09月】の更新記事一覧 →出光  出光
 

~ Comment ~

  ※コメントの編集用
  シークレットコメントにする (管理者のみ表示)

~ Trackback ~

卜ラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

MENU anime_down3.gif