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STOP JAP

STOP JAP

















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THE STALIN - STOP JAP































『STOP JAP』(ストップ・ジャップ)は、日本のバンドであるザ・スターリンのメジャーデビューアルバム。ザ・スターリンの通算2枚目となるフルアルバム。メジャーレーベルである徳間音工と契約、本アルバムでメジャーデビューを果たした。過去にシングルやアルバムでリリースされた楽曲も一部歌詞やタイトルを変えて収録されている。本作のディレクターを担当した加藤正文は、当時キングレコードに在籍していたが、ジャパン・レコードの三浦光紀から徳間音楽工業でロック専門レーベル(クライマックス・レコード)を立ち上げるという話を受け、スタッフの選定をする事となった。その後、音楽雑誌『DOLL MAGAZINE』の編集者である黒田義之や森脇美貴夫と会った際に、ザ・スターリンの話題となり、インディーズでリリースしたアルバム『trash』が2000枚を売り切ったという話を聞いたためメジャーデビューを手掛ける事を検討する事となる。ザ・スターリンはメジャーデビュー先のレコード会社として日本コロムビアと契約直前まで話を進めていたが、窓口となっていた森脇に対して加藤は無理矢理にでもザ・スターリンを手掛けさせるよう要請し、森脇が許可したため徳間側で手掛ける事となった。しかし、加藤が徳間の上司にザ・スターリンのリリースを相談するも、「会社のカラーに合わない」との理由で許可が下りず、社長が出席する月一回の会合の席に週刊誌や新聞に掲載されたザ・スターリンの特集記事のコピーを大量に持ち込み、社長に直訴する形で許可を迫った。記事のコピーを見た社長はすぐに許可を出したが、演歌などの他ジャンルの部門は賛同せず、社長以外は誰も賛同者がいないまま制作が進められる事となった。また、当初雑誌などでアルバムタイトルは『NO!』と告知されていた。レコーディングは1982年3月5日から3月12日までに箱根のロックウェルスタジオでリズム録り、ギター録りが行われ、同年の3月18日から3月23日まで東京のサンライズ・スタジオで歌入れが行われた。ミックス・ダウンは3月末には完成していた。しかし、事前に自主規制はしていたものの、レコード制作基準倫理委員会の指導により、ほぼ全曲に近い歌詞が規制の対象となり、大幅に歌詞の修正を余儀なくされたため、5月3日に修正した歌詞で再度の歌入れがサンライズ・スタジオにて行われた。さらに、カラオケを録音していなかったため、歌のみを録音し直す事ができず、ミックスも全てやり直す事を余儀なくされた。歌詞の修正に関しては、スタッフは問題の個所に自主規制音(ピー音)を入れる事を提案するが、作詞した遠藤ミチロウは猛反対し、その事によって周りのスタッフも遠藤が日本語の歌詞に強いこだわりを持っている事を初めて認識したという。また、歌詞の変更内容に関しても遠藤は深刻に捉えており、「この歌詞がだめになると、全体の歌詞の意味が、自分の意図が通じなくなる」と言い、規制対象以外の歌詞も変更している。この事に関し遠藤は当時の雑誌で「ワイセツな事とか差別的な事、残酷なところとかが全部カットされたんです。40ヶ所くらい。けずられた歌詞は表現を柔らかくするのではなくて、まったく別の歌にしたんですけどね。制限されたから駄目という気持はまったくないです」と答えている。音の質感に関しては、森脇はセックス・ピストルズをイメージしていたが、遠藤はパティ・スミスのような音が好みであり、曰く「ニューヨークの煉瓦の建物が冷や汗をかいてる音」というように、湿った質感のある音質にしたいと要請した。しかし、元ドラマーのエンジニアが完成させた音を遠藤は気に入らず、メンバー、スタッフともに不満を残す結果となった。本作のリリースは当初1982年6月25日の予定であったが、上記の歌詞修正問題が発生したため、7月1日に徳間音工よりリリースされた。。初回プレスは赤いヴィニールレコードで、特典として「肉」が収録されたソノシートが封入されていた。また、当時同時にリリースされていたカセット版では、「LIGHT MY FIRE」、「NO FUN」が追加収録されていた。これに関して遠藤は「ドアーズの『LIGHT MY FIRE』なんかも入れるつもりだったんですけど、まあ、最初だから全部オリジナルの方がいいだろうと。話題になるんじゃないかっていう助平根性で、シングルのB面には入れてますけど」と語っている。その後、1986年にリリースされた『Best sellection』にて次作アルバム『虫』とのカップリングで初CD化され、以後1988年、1993年、1998年、2003年に再リリースされている。また、本作の歌詞修正前のお蔵入りの音源は、後に『STOP JAP NAKED』(2007年)としてリリースされている。加藤は森脇とメンバーとで3か月以上に渡り、夕方から朝までミーティングを行い続けた。宣伝活動費はあまり与えられず、レコーディングのリハーサルを高円寺などにある安いリハーサルスタジオで行い、公園やドーナツ屋など費用の掛からない場所で缶コーヒーのみでミーティングを行い、酒類は一切口にしなかったという。告知用のチラシなどもメンバー自らが作成し、森脇の指示によってチラシの配布もメンバー自身で行っていた。森脇の戦略では前作『trash』が2000枚売れた事に対し、メジャーでは10倍の2万枚は売らなくてはならないとの考えがあったが、リリース後には2万枚は即完売した。当時のロックバンドとしては異例の売り上げ枚数となったが、森脇はもっと売らないとだめだと言い張り、結果として12.6万枚の売り上げを達成する事となった。しかし、演歌中心であった徳間側の待遇は芳しくなく、会議や試聴会などで曲をかけるなと要請され、頭にきた加藤は無理矢理5、6曲かけるなどし、余計に嫌われるという事態を引き起こした。歌詞カードに記載されているヨシフ・スターリンの写真は革命資金を調達するために銀行強盗をして逮捕された時に警察によって撮影されたものであり、遠藤が中野区にある図書館で発見しコピーして無断で使用したものである。本作リリース後に「STOP JAPツアー」と題し、全国60ヶ所でライブツアーを行っている。ラジオDJの小林克也は雑誌『女性セブン』内のアルバム批評コーナーにおいて、「音楽的にはたいしたことやってないけど、彼らの存在そのものがスゴイ。レコードではかなりポップになっているが、全15曲、ひたすら歌いまくるパワーには圧倒される」と評している。音楽情報サイト『CDジャーナル』では、「超強烈なライブ・パフォーマンスでも知られる彼らだが、あらためて聴くとメロディはキャッチー、アレンジもどストレートで、大ヒットを記録したのも納得」と評されている。本作はオリコンチャートで初登場48位、最高順位3位を記録し、最終的に約12万枚を売り上げるヒット作品となった。しかし、当時の徳間ジャパンからは歓迎されておらず、徳間ジャパン内のヒット賞において本来金賞であるところが銀賞にされてしまい(金賞は五木ひろしのベストアルバムになった)、また授賞式への参加を拒否された。

ザ・スターリン (THE STALIN) は、日本のパンク・ロックバンド。ボーカルの遠藤ミチロウを中心に1979年に結成されたバンド、「自閉体」を母体として1980年結成。同年9月5日にファーストシングル「電動こけし/肉」をインディーズレーベルからリリース。その後1982年にアルバム『STOP JAP』で徳間音楽工業よりメジャーデビュー。3枚のアルバムをリリースした後に1985年解散。その後もビデオのみをリリースするというコンセプトの「ビデオスターリン」や、定冠詞の付かない「スターリン」というバンド名で復活している。バンド名の由来はソ連の独裁者、ヨシフ・スターリンからとっており、ボーカルの遠藤曰く「世界で最も嫌われている男の名前をつけたらすぐに覚えてもらえる」、「外国(東ヨーロッパ)に行くつもりだった」という理由で付けられた。また「スターリンとはバンド名ではない。俺の活動そのものの事だ」とも遠藤は語っている。同時期にデビューしたじゃがたら、INUなどと並んで日本のパンク・ハードコアシーンで活動していた。ラモーンズ直系の8ビートにG.B.H.のような攻撃的なハードコア・サウンドを足した楽曲と、言葉遊びを織り交ぜた皮肉を込めた表現の歌詞が特徴となっていた。ライブ会場では同時期に対バンなどをしていたじゃがたらの影響を受け、ボーカルの遠藤が鳩の死骸や豚の頭・臓物を客席に投げつけ、爆竹や花火を投げ込み、全裸でステージから放尿するといった過激なパフォーマンスで話題性を呼んだ。東京のライブハウス「屋根裏」を破壊し出入り禁止になったことや、とある高校の文化祭でゲリラ的にライブを行った時に遠藤が全裸になり逮捕された事もある。そうしたスキャンダラスな行為が評判となり、81年9月に週刊誌『女性自身』にザ・スターリンの記事が掲載され、マスコミに取り上げられるようになる。ザ・スターリンが他のバンドと違ったのは自ら積極的に雑誌やテレビなどのメディアを利用し、活動をアピールしてきた所であり、音楽・芸能問わず数々のメディアに登場していた。その一方で一部の暴力的なハードコア・パンクス達からは積極的にメディアを利用した宣伝を行い、「知的なパンク」を演奏するスターリンは異端児の様な扱いを受け、嫌われるという事もあった。メジャーデビュー後は、アルバムがオリコンチャートの上位に食い込むなど売上においても一定の成功を収める。しかし、結成当初よりメンバーが固定せず、メンバーチェンジを繰り返しながら活動していたが、主要メンバーが脱退してしまった事や前述のパフォーマンスや破壊活動を行われる事を危惧した全国のライブハウスやホールから徹底的に締め出され、ライブ活動を行う事が困難になった為、1985年2月21日の大映スタジオでのライブを最後に解散する。その後、遠藤はソロ活動を行っていたが、1987年にビデオのみをリリースするというコンセプトで、遠藤以外のメンバーを一新したビデオスターリンを結成。オーディションにより選出された3名のメンバーにより、ザ・スターリンの曲をカバーし2本のビデオ作品を発表したが、その後アルバムを1枚リリースし、1年ほどで解散する。1989年に再びザ・スターリンを結成するため、遠藤はドラムスの乾純に声を掛けようとしたが連絡が取れなかったため、元ルースターズ・ローザ・ルクセンブルグに所属していた三原重夫を中心に元THE LIPSの山盛愛彦やパラノイア・スターに参加していた西村雄介を新たなメンバーとして迎え、定冠詞なしのスターリンとして復活し、シングル「包丁とマンジュウ」、アルバム『JOY』にてアルファレコードよりデビューする。再結成に伴い、レコード会社やファンの間ではかつての過激なパフォーマンスが望まれていたが、遠藤やその他のメンバーはそれには応じず、独自のスタイルで活動していた。しかし、話題性、売上ともにザ・スターリン時代には及ばず、6枚のシングル・アルバム、2本のビデオをリリースするも、1992年12月14日の原宿ルイードでのライブを最後に活動停止し、翌1993年に解散した。その後は、遠藤主催のライブイベントなどで、都度異なるメンバーで一夜限りの再結成をしている。






















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