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BE MY BABY

BE MY BABY

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COMPLEX


COMPLEX(コンプレックス)は、吉川晃司と元BOØWYのギタリスト、布袋寅泰の2人によって結成された日本の音楽ユニット。


活動期間


1988年 1988年12月10日 COMPLEX 結成 発表

1989年

1990年 1990年11月8日 無期限 活動休止(事実上の解散)


2011年(東日本大震災チャリティーライブ・一日限りの復活+追加公演一日)




逸話

氷室京介はCOMPLEXについて宝島のインタビューで「好きですか?って質問?」「あんなことがやりてぇのかなと思うよ」 「いや、二人と言うか……あれが布袋の本当にやりたいことなのかなと思って」「というかソロアルバムを出したじゃん。『GUITARHYTHM』を発表したのはわかる。で、あえてバンドを組んでああいう事をやる必要性って言うか、分からないよね。」とコメントしている。

ギター雑誌で布袋は「一時的なものではなく、パーマネントにやっていくつもり。吉川もソロをやりたくなったらソロをやるし、俺も『GUITARHYTHM』をやる」と発言。現在は、吉川に対しては「君」付けになり、自分のことを「僕」と言うようになった(布袋はインタビューの内容や相手によって、意識的に使い分けているようである)。

渡辺プロから独立したての吉川と、BOØWY解散後の布袋の、飲み屋での一緒にやろうかと言う話から、双方の事務所も乗り気になり結成に至る。吉川サイドはアイドルからの脱皮のため、布袋サイドはソロアルバムに対し、BOØWYファンからの布袋の歌への否定的な声と、ギタリストとしてギターインストの作品を求める声があがり、布袋本人も一流ギタリスト、プロデューサーとして、未熟なボーカリストの自分を認められずにいたために、双方の事務所はこのユニットの企画を積極的に進めていった。

ボーカリストとしての人気と実力に加え、ソングライターとして急成長する吉川と、音楽の細部にわたるこだわりだけでなく、活動コンセプトやファッションに至るまでをプロデューサー視点としてトータルで捉える布袋との間に徐々に溝が生まれ、最後は飲み屋でのつかみ合いに発展して活動停止に至った。また当時、コンピュータを多く導入したサウンド作りを考えていた布袋と、COMPLEXのツアーで一流ミュージシャンによる生演奏で歌うことの楽しみを知った吉川との間に音楽性の根本的な違いが生じたことも休止の要因と言われている。

吉川は自身の20周年企画番組の中で、「組んでみたら最初から全然感覚から何から違っていて、最後のアルバムを出すときにはもう勝手にやってという感じだった。」、「1枚だけしかアルバムを出さないのはカッコ悪いから2枚目のアルバムも出したんだけど、その時はもう完全に分業体制でレコーディングをしていた。」というニュアンスのコメントを残している。しかしながら解散時のインタビューでは「プロデュースの仕方とか、(布袋の)仕事を見ていて得るものは沢山あった。」ともコメントしている。

また布袋がDJを担当していたラジオ番組『ミュージック・スクエア』内で組まれたCOMPLEXセカンドアルバム特集においては、布袋とゲストの吉川両名ともアルバムコンセプトや社会情勢、お互いの音楽ルーツについて深く語り合うなど、上記の確執を感じさせないパートナーシップを見せていた。

活動停止直後に同番組内で布袋は「演りたくなったらまた演ろうというのは全然おかしくないと思うのだけど、みんな深読みするからね」とコメントをしたが、更に後には「商業的成功以外、何も得ることはなかった」というコメントも残している。

活動停止直後の音楽雑誌において、布袋は「COMPLEXさえ組まなければ、少なくとも友達を失くす事はなかった筈なんだよね」とコメントしていた。

解散直前の時期、布袋は既に『GUITARHYTHM II』の製作に入っていたが、吉川の強い希望によって最後の東京ドームコンサートが実現した。吉川は後に「布袋は、最後の東京ドーム公演が終わったステージ上で、自分とCOMPLEXを組んで以来初めて笑ったんだぜ」と語った。

氷室京介は解散後の二人について「吉川が布袋から受けた音楽的影響は、決して小さいものではないはず。」と語っている。

結成当時のインタビューで初対面の印象を聞かれ、布袋は「やっぱりアイドルってこんな感じかっていう。肩幅もあってバランスが取れてるし。ロックの奴ってやっぱ斜めじゃん」、吉川は「とにかくデケェ!っていう。俺より背の高い奴なんてそんなに会った事なかったし、190cmなんて規格外でしょ!」とお互いについて言い表し、「何だ?この会話は。君らプロレスラーか?」と渋谷陽一に突っ込まれていた。

「MODERN VISION」など、COMPLEX時代の楽曲で吉川が91年にソロとして活動を再開した後のライブで唄われたりソロとしてカバーされてアルバムに収録されている楽曲もある。

吉川が行きつけるスーパーマーケットでたまたま布袋と出会って話し込むなど、現在は悪い関係ではないという事を話している。ちなみにこの時吉川と布袋は偶然にもまったく同じ靴を履いており、それが会話のきっかけになったという。また前述の通り、行きつけのスーパーが同じことや、「21年ぶりの復活」を話すために会ったのが互いの自宅近くにある公園ということから、いわゆる「ご近所さん」である。

発表した楽曲の権利関係は、全曲布袋の所属事務所の出版社「アイアールシートゥコーポレーション トイボックス・ゼロ」が管理している。



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来歴

結成

二人は、布袋の所属していたバンドであるBOØWYのアルバムに吉川が参加、また吉川のアルバムにギタリストとして布袋が参加するなど結成以前から交流があり、1988年12月10日にCOMPLEX結成を発表する。同年4月に人気絶頂の中で解散したBOØWYのギタリスト・布袋と絶大な人気を誇っていたアイドルロックシンガー・吉川という異色かつ大型ユニット結成の発表に、世間の注目が集まった。翌1989年4月にシングル「BE MY BABY」でデビューし、瞬く間にオリコンチャートを席巻する超人気ユニットとなる。ロックとポップ、デジタルを融合させたその音楽性は高い支持を得る。


活動休止

COMPLEXは高い人気を誇っていたが、結成からわずか2年後の1990年11月8日に行われた東京ドーム公演をもって無期限の活動休止状態となる。表向きは活動休止となっているが、事実上の解散である。COMPLEX結成以前から公私共に付き合いのあり友人関係だった二人だが、COMPLEX後期には関係が悪化していたことは本人達も認めており、活動休止の要因とされている。吉川曰く「離婚したような関係」。

その後2人の交流はほとんど無かったが、2005年に布袋のCOMPLEX時代の曲を含む音楽活動の集大成的なベストアルバムがリリースされた。また吉川の口からも布袋に関する話題が出るようになり、布袋のライブに吉川から花が贈られることもあった。


21年ぶりの復活

2011年4月28日、吉川、布袋双方の公式サイトにおいて21年ぶりに一日限りの復活をすることが発表された。7月30日、東京ドームにおいて「日本一心」と銘打ったライブを行う。このライブは3月に発生した東日本大震災のチャリティーライブとして行われ、本公演の収益は同震災の復興、復旧に全額寄付される。なお、この日はFUNKY MONKEY BABYSの公演が中止となり、急遽決まったもの。

5月28日、当初は1日限りであったが7月31日(日)の追加公演が決定したことが発表された。

震災後、吉川が布袋に「いつかコンプレックスをやろうと話したこともあり、ならば(震災からの復興を目指している)今しかないだろう」と再結成を呼び掛けたところ、布袋もはじめは「気持ちの整理が付いていない」と返答を保留したが、程なくして「願いは一つ。心は一つ。答えは一つ。やろうぜ!」と再結成を承諾した。

12月31日、IRc2コーポレーション、アクセルミュージックエンターテイメント、ディスクガレージより、公演およびコンサートグッズ、公演を収録したDVDの売り上げから総額654,318,473円という金額を集めることができたと発表があった。


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