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少女A

少女A



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2010年10月、体調不良により当面の芸能活動の休止を発表。2013年現在、芸能活動を休止中。


「歌姫」中森明菜のオフィシャルサイト













中森明菜

中森 明菜(なかもり あきな 1965年7月13日 48歳 )は、日本の歌手、女優。本名同じ。東京都大田区生まれ、清瀬市育ち。明治大学付属中野高等学校定時制中退。FAITH所属。所属レーベルはユニバーサルシグマ、ユニバーサルミュージック内の私設レーベル歌姫レコーズ。

16歳の時に出場した日本テレビ系のオーディション番組『スター誕生!』合格を機に、ワーナー・パイオニアとのレコード契約を締結。1982年にシングル「スローモーション」でデビューし、2枚目のシングル「少女A」がヒット。翌1983年には、「セカンド・ラブ」、「禁区」などのヒットでレコード・セールスはトップとなる。以降も「北ウイング」、「飾りじゃないのよ涙は」など連続してシングル・ヒットし、1985年の「ミ・アモーレ〔Meu amor é・・・〕」と1986年の「DESIRE -情熱-」で2年連続となる日本レコード大賞を受賞。1985年から1987年のレコード・セールスでは3年連続でトップを記録する。

1992年には連続テレビドラマ『素顔のままで』(フジテレビ系)に主演し、その後も1998年の連続テレビドラマ『冷たい月』(日本テレビ系)の主演など女優としても活動。2002年にはユニバーサルミュージックに移籍し、カバー・アルバム『-ZEROalbum- 歌姫2』を発表。歌姫シリーズの第2弾として発売されたこのアルバムはヒットを記録する。以降、『歌姫3 〜終幕』、『フォーク・ソング〜歌姫抒情歌』などカバー・アルバムのシリーズ作をリリースする。2004年にはプライベートレーベル歌姫レコーズを設立した。


人物

スター誕生!

『スター誕生!』テレビ予選3度目(1981年)の挑戦時、山口百恵の「夢先案内人」を歌い合格した。なお、2度目(1980年・中学3年時)の挑戦で松田聖子の「青い珊瑚礁」を歌ったが、審査員の松田トシが「歌は上手だけど顔が子供っぽいから、童謡でも歌ったらどうかしら?」と批評。これに対し、「『スタ誕』では童謡は受け付けてくれないんじゃないんですか!?」と抗議した。実は最初の挑戦時(1979年・中学2年時)にも松田トシは中森を批評しており岩崎宏美の「夏に抱かれて」で挑んだが、「年齢のわりには、大人すぎる」と批評した。

3回目の出場時、『スター誕生!』チーフ・プロデューサーの金谷勲夫は、番組スタッフの中には中森が常連の出場者であるため出場に難色を示す声も出たという。しかし3回目の時の中森には、1・2回目の挑戦時以上に光り輝くものが見えた。美しさの中にあるかげりを感じられ、強く推して出場させたことを語っている


デビュー当時

当初「森アスナ」という芸名でのデビューも検討されていたようだが、本名でのデビューを希望し本人が拒否した。なお、デビューに際し、大東学園高等学校より明治大学付属中野高等学校定時制へ編入するが、芸能活動専念により休学後中退する。

中森がデビューした1982年はアイドルの当たり年で、この時期(1981年10月から1982年9月)にデビューしたアイドル達を総称して「花の82年組」または「花の57年組」と呼んだ。同時期には、石川秀美、小泉今日子、シブがき隊、早見優、堀ちえみ、松本伊代、三田寛子らがデビューしている。

デビュー当時のキャッチフレーズは「ちょっとエッチな美新人娘(ミルキーっこ)」。このキャッチフレーズのため「明菜さんはエッチなんですか」と頻繁に聞かれたり、好奇の目で見られたりする原因となり、当時、苦痛だったと本人が語っている。「エッチ」というのは卑猥な意味ではなく、少し背伸びした大人の雰囲気を出そうと思って事務所がつけたとされている。なお、デビュー当時の体重は58kgほどあり、事務所と契約を交わした直後に「まずは歯並びを整えましょう」と言われ、本人はわりと気に入っていた前歯の矯正をしたとコメントしている。


音楽番組

1982年9月20日、フジテレビ系音楽番組『夜のヒットスタジオ』に2枚目のシングル「少女A」で初出演を果たす。同期デビューの歌手がデビュー曲での番組出演を決めていくなか、デビュー曲「スローモーション」での初出演は実現しなかったが、以降ヒット曲を記録し続け、同番組にはほぼ月1ペースでの出演を重ねたり、マンスリーゲスト制での出演も果たしている。

『夜のヒットスタジオ』の司会をしていた芳村真理は当時、中森が自身でヘアスタイルから服装に至るまでのすべてのコーディネートを行っていることを知り、番組内でそのセンスのよさを絶賛した。以降、同番組に出演するときには別の歌番組とは異なる特注の衣装で毎回番組に臨み、歌う際のセット・照明との調和にまで気を配るほど、トータルプロデュースに気合を入れていた。芳村が番組を勇退してまもなく同番組に出演した際、「真理さんに『明菜ちゃん、最近おしゃれしてる?』と訊かれ、おしゃれをした。真理さん見てますかー?」と芳村に画面を通じて呼びかけた事もある。また、芳村が中森の衣装コーディネートを特別に担当した事もある。

久米宏が『ザ・ベストテン』の司会を降板した回と芳村真理の『夜のヒットスタジオ』勇退の回の双方で、デビュー当時からいろいろと親しくしてもらった恩義と、これから番組で会う機会が無くなってしまうことを惜しみ、中森は涙を見せた。2000年12月30日に放送された『ザ・ベストテン』の復刻版スペシャルでは、歌前に久米から応援の電話が入った。「番組内でもほとんど会話という会話は交わしたことはないが、ちょっとした一言二言で人間というのは『ウマが合う』というのは分かるもの。僕と明菜さんはウマが合っていたと思う。だから明菜さんが出る日はスタジオに行くのが楽しみだった」という内容で、中森自身も感極まっていた。

中森は『ザ・ベストテン』で、さまざまなアイデアやこだわりを持った美術や照明・セットに対抗し、勝負するかのように懸命に表現してきたが、番組や出演するタレントに対する愛情の深さと熱意を番組スタッフから強く感じていたという。さらに、今のテレビでは熱意を感じられる番組は限られており、この時代を過ごせたことは幸せであったと出演当時を振り返っている。


女優として

1985年には映画「愛・旅立ち」に出演し歌手活動と並行して本格的に女優としても活動を開始した。1992年には安田成美とW主演した「素顔のままで」が最終回で31.9%の視聴率をたたき出すヒットとなった。その後も「古畑任三郎」の初回の犯人役なども演じた。 ザ・ベストテン、1988年年間ベストテン9位にTATOOでランクインした際にお祝いで駆け付けた映画評論家の小森和子には「大人のムードを持ち初主演の映画から感のいい芝居をしている。外国の女優ではジョディ・フォスターのようなかわいさとすごさと大人っぽさなど色々な面を持っている人であると称した。


音楽性

中森は幼少期に、邦楽では松任谷由実や矢沢永吉、洋楽ではカーペンターズらを好んで聴いていたが、もともとの音楽のルーツについては、姉や兄たちがディスコミュージックやソウルミュージックを聴いていた影響としてブラックミュージックを挙げている。また、中森が最も影響を受けたアーティストについてはドナ・サマーを挙げており、ドナの楽曲やボーカルのみならず、人生観など多くの面でのめり込んだと明かしている。

中森自身の作品については、すべてベースやバスドラムの重低音を効かせていると語っている。音楽ライターの馬飼野元宏は、デビュー以来1作ごとに作家を入れ替え、幅広い世界を歌い続けてきた中森の最大の特徴として、「『路線』が存在しないことである。」と指摘し、歌唱については、歌唱力以上に卓越した情感表現を持ち、ウィスパーボイスと声量を活かしたロングトーンをギア・チェンジの如く使い分ける、俗に「明菜ビブラート」と呼ばれる唱法を確立したと指摘している。


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