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永遠の夢に向かって涙のリクエスト

 

涙のリクエスト

涙のリクエスト



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藤井フミヤ

藤井 フミヤ(ふじい フミヤ 51歳)は、日本のミュージシャン・俳優。血液型はA型。身長164.9cm。

福岡県久留米市出身。久留米市立南筑高等学校卒業。

本名および旧芸名、藤井 郁弥(ふじい ふみや)。弟は藤井尚之。




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略歴

鳥栖駅長などを歴任した国鉄職員の父と美容師の母のもとに第1子として出生。中学生の頃、キャロルに出会い音楽を始める

久留米市立南筑高等学校卒業後、日本国有鉄道・門司鉄道管理局に就職し、鳥栖駅で半年間の見習期間の後、早岐駅輸送係として貨物列車の操車・入換業務に従事。労働組合は国鉄労働組合(国労)に所属した。

国鉄退職後の1983年にチェッカーズのリードボーカルとしてデビュー、数多くのヒットを飛ばした。歌唱力のみならず外見や言動も注目され、彼の先進的なファッションを真似する若者が急増した。また、オリジナル作品をシングルとして発売した以降の殆どの作詞を担当し、楽曲製作の中心的存在となった。なお、チェッカーズがデビューした頃は国鉄分割民営化を控えた時期だっただけに、藤井の大活躍は当時金沢鉄道管理局の現役車掌だったシンガーソングライターの伊藤敏博の活躍と共に、国鉄マンにとっては希望の星であった。

1992年にチェッカーズは解散、翌1993年から「藤井 郁弥」を「藤井 フミヤ」に改め、ソロ活動を開始した。解散当初、仕事が激減し、当時ロサンゼルス在住の屋敷豪太の誘いで渡米。同じくロス在住の鈴木賢司に選んでもらい、ギブソンのギター「B-25」を購入。これを用いて最初に作曲された曲が『TRUE LOVE』である。同年『TRUE LOVE』が240万枚、1996年リリースした『Another Orion』が120万枚を超えるセールスを記録した。

歌唱力を武器に歌手活動を行う傍ら、「FUMIYART(フミヤート)」名称で個展を開催したり、愛・地球博の名古屋市パビリオン『大地の塔』をプロデュース(世界最大の万華鏡としてギネスブック認定)したりと、幅広く活躍する。数多くのテレビドラマにも出演。

楽曲提供では、猿岩石への『白い雲のように』(作詞。作曲は弟の尚之)や、MISIAへの『星空の片隅で』(作詞・作曲)などがある。吉川ひなのの『ハート型の涙』を始めとする4曲では楽曲プロデュースも兼任している。

地域への協力も数多く、出身地の福岡県久留米市へ久留米市歌『ふるさとのささやき』の作曲、くるめ市民カードのデザイン提供、福岡放送のロゴマーク作成、母校久留米南筑高校の制服デザインなどがある。また、地元福岡県のプロ野球球団福岡ソフトバンクホークスの応援歌『勝利の空へ』を生で歌うため、毎年開幕頃(スケジュールによる)は試合観戦に福岡ヤフージャパンドームを訪れている。なお、敗戦の場合は観戦だけである。

1997年10月1日開局で鹿児島県初となったコミュニティFMの鹿児島シティエフエムの愛称"FRIENDS FM 762"は、藤井フミヤにより名付けられた。藤井はジングルにも登場し「オレのFM、キミのFM、フレンズFM762(フレンズエフエム ななろくに)」とアナウンスしている。そして取締役にも就任している。

長野オリンピック冬季大会のカウントダウンTシャツのデザインを手がける。1998年の大会当日までの残りの日数を刻んだTシャツで、フミヤは500 - 401日前までのデザインを担当。

2007年に第62回神宮式年遷宮の奉賛曲「鎮守の里」を作詞・作曲した。シングル「君になる」に収録されている。伊勢市に3日間滞在し宇治橋のそばの五十鈴川の河原で作曲した。

2008年の大晦日に行われた日本武道館でのカウントダウン・ライブで、チェッカーズ時代とF-BLOOD名義、そしてソロを含む日本武道館の通算公演回数が、矢沢永吉と歴代1位タイの102回になった。それを受け、「音楽を始めたきっかけがキャロルだったので、その矢沢さんと武道館のステージに立った回数が並んだ事はすごく光栄です」と語っている


2011年10月15日に開催される『Setting Sun Sound Festival〜in Amami〜vol.2』に出演。


人物

プライベートで付き合いのある博多華丸曰く「”港・港に好きな餃子がある”ほどの餃子好き」。

私生活では1990年6月29日、長年交際していた中学校の同級生と結婚、久留米水天宮で挙式し、一男一女を授かった。

元不良で、当時のエピソードをよく話す。

喫煙者。

デビュー当時は小柄だったが、現在は165cm近くまで伸びている、とのこと。

かなりの酒豪で、焼酎一升を飲み干した事もあるとテレビで語った。ギネスビールを好む事を公言したことから、過去にサッポロビールが公式グラスのデザインを依頼し、限定BOX330ml缶3本パックにノベルティ景品として配布されたことがある。

前述のように郷土愛があり、福岡ソフトバンクホークスのファンで公式応援歌の提供を始め、地元のテレビ番組にもしばしば出演する。

実弟・尚之と「F-BLOOD」を結成し、時折ライブ活動などをしている。

2009年7月22日の日食を見に行くため、屋久島へ行く。半年前から計画して万全の態勢で行ったものの、曇りで直接見ることは出来なかった。また、屋久島環境保全のための修繕費用として、売上げの一部が寄付される「屋久島Tシャツ」をデザインした。

アートについては、ラジオ番組で、パリの個展を実績をかたり自らの経験や知識を示し、第一線で活躍するコンテンポラリーアーティストであるダミアン・ハーストの「牛の親子を真っ二つにした作品」を挙げて、番組のゲストであった土岐麻子にその印象、関心もしくは評価を尋ねるなど、関心の高さを伺わせている。同時に、「自分が他人に何で勝てるかと考えたときに、(フミヤートではなく)音楽しかないという結論に至った」としている。加えて、「アートに関心を持っても、その作品そのものが自宅に入り込むことは無いが、音楽であれば(たとえCDやラジオであっても)本物が生活に入ってくる。加えて、音楽は繰り返し鑑賞してもらえるから、アートより強く理解される」という、音楽優位の考えを述べている

木梨憲武やヒロミとは20代前半からの付き合いで、家族ぐるみの付き合いをしている。



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藤井フミヤの山に登りたい BSジャパン


藤井フミヤ 登山歴10年生かし冠番組で山岳紀行


藤井フミヤが北八ヶ岳「山歩き」に挑戦


藤井フミヤ、「孤独感に浸れる心地よさ」 山歩きの魅力を語る




山歩きにハマったきっかけは、数年前に撮影で訪れた屋久島。自然が与えてくれる「癒し」と「孤独感に浸れる心地よさを感じた」という。「福岡の実家も、窓を開けると山が見えた。山を見ると落ち着く」と素地もあった。

いまや、近場で日帰りできる山に一人で出かけるのは「ジムに行く感覚」。「僕は中央線方面が好きなんですけど、新宿駅で弁当を買って、1時間くらい電車に揺られて、5時間くらいトレッキングして帰ってくる。新宿駅に戻ってきた時に感じるギャップもいい」と話す。山の中ではさまざまな自然の音に耳を傾け、山の上からの絶景を眺めながら「またいい曲を書こうと思うし、いい曲が書けますようにとお祈りすることもあります」。

トレッキングの魅力について「まず自分の肉体を使うし、体を動かすことで内側から活力も湧いてくる。自然の一部になって浄化されていくような気がするし、達成感もある。飯もうまいし、酒もうまい。出会いもある。いいことしかない」と力説。「山の中では、社会的立場も年齢も関係なく輪になれる。だいたいみんな同じような服装や装備で行くから。年配のおばちゃんだって後ろ姿は山ガールだよ(笑)」。



藤井フミヤ



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~ Comment ~

山・トレッキング

藤井フミヤさんも山が好きなんですね。改めて行きたくなってきました。
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