永遠の夢に向かってモダン・ラバーズ

 

モダン・ラバーズ

モダン・ラバーズ















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The Modern Lovers 1976

































モダン・ラバーズは、アメリカの1970年代初期、ベルベット・アンダーグラウンドの影響を受け活動を開始したボストンのパンクバンド。1970年代中盤のパンク全盛期のバンドに大きな影響となるシンガーソングライター、ジョナサン・リッチマン(Jonathan Richman)のいたバンドです。シンガーソングライターのジョナサン・リッチマンはハイスクール卒業後、ニューヨークに行き、ザ・ベルベット・アンダーグラウンドのマネージャー・スティーブ・セスニックの元で9ヶ月間暮らしバンド活動に付いて様々な事学びます。その後、1970年に地元ボストンに帰ったジョナサン・リッチマンはニューヨークで見て学んだ事でロックバンド結成に取り掛かります。メンバーは幼馴染(おさななじみ)のジョン・フェリスをギターリスト、デービッド・ロビンソンをドラマー、ロルフェ・アンダーソンをべーシストとして、バンド、ザ・モダン・ラバーズを結成し活動を開始します。実にニューヨークより戻ってわずか1ヶ月後の事でした。1971年にアンダーソンとフェリスがバンドを辞めることに成ります。フェリスは後に再びバンドに戻ります。アンダーソンの変わりのべーシストとしてアーニン・ブルックス、そのほかにキーボーディストとしてジェリー・ハリソンがバンドに加わります。バンドはボストンでのライブ・ギグでの人気は高まりつつありました。1971年の秋にはレコードの作製用のデモテープの録音に取り掛かり始めます。このデモテープは音楽業界でも、注目をされた為、1972年の4月にメンバーはロサンゼルスのスタジオ行き、最高の機材で2回のセッションの数曲のトラックのデモテープを録音しました。一回目はジョン・ケールのプロデュースによりワーナ・ブロス用に、2回目はアラン・マーソンによりA&M用を録音しました。しかし結局、アルバムはリリースされませんでした。それでもモダン・ラバーズはライブ活動で成功を収め続けました。活動を続ける間もバンドにとってアルバムのリリースが重要視されました。1973年にケールとの2度目のセッションをロサンゼルスで行いましが、上手くいかず、代わりにキム・フォウレイが指揮をとりました。フォウレイのプロデュースは上手く行きレコードのリリースへと近づいていました。しかし、その頃にはもうバンド自体上手く行っておらず、末路を辿っていた状態です。ジョナサン・リッチマンは自分のソロ活動でデモテープを作成し、ハリソンはトーキング・ヘッズへ入り、ロビンソンは、ザ・カーズに入り、フェリスはザ・リッチ・キッズを結成していました。ジョナサン・リッチマンはその後バンド名を貰う事になりましたが、全く違うメンバーであった為モダン・ラバーズ在りながら、全く違うバンドという感じ、またはソロでの活動がしばしばありました。1975年にジョナサン・リッチマンはカリフォルニアに引越しバクレー・レコードと親しくなり。バークレー・レコードより今まで貯めてきた初期のデモテープを元にアルバム、『ザ・モダンラバーズ』を作成し、1967年についにレコードをリリースします。1977年に『ジョナサン・リッチマン&モダン・ラバーズ』としてアルバムを出しますが、完全に違うバンドです。結局バンドは、活動中にはアルバムを出せず、解散後にリッチマンの手により、一枚のアルバムが出されたのみです。しかし、この一枚のアルバム影響力は後に大きく、中でも1曲目のRoadrunner (ロードランナー)は、Sex Pistols (セックス・ピストルズ)やJoan Jett(ジョーン・ジェット)もカバーしている、伝説の3コードパンクソングです。













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