永遠の夢に向かってロイ・オービソン

 

ロイ・オービソン

ロイ・オービソン















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Roy Orbison-Oh Pretty Woman























































ロイ・オービソンとサングラスにまつわるストーリー

ロイ・オービソンとサングラスにまつわる話、彼の波乱の人生とは?。ロイ・オービソン(1936 - 1988)通称・愛称:ビッグ・オー(The Big O)。アメリカ・テキサス州ヴァーノン出身の歌手。『♪オー・プリティ・ウーマン』、『♪オンリー・ザ・ロンリー』、『♪クライング』、『♪ブルー・バイ・ユー』など全盛期には20曲以上のヒットを連発したエルビス・プレスリーらと並ぶ伝説のミュージシャン。ヴェルヴェット・ヴォイスと呼ばれるファルセットが特徴。ロイ・オービソンはなぜいつもサングラスを掛けているのか?彼は全盲だという者までいた。1963年、ロイ・オービソンはイギリスツアーを行っていた。その前座のバンドは、なんとビートルズ。ビートルズと一緒のロイ・オービソンはサングラス姿。実は、このイギリスツアーの直前、アラバマに向かう飛行機の中にメガネを忘れてきたロイ・オービソン。近眼のロイ・オービソンはメガネがないと困る。その晩のステージは持っていた度付きのサングラスで登場。その流れのまま、イギリスに行き、ツアー中サングラスを掛け続けるしかなかった。ポール・マッカートニーがサングラスをすすめたことが真相。ロイ・オービソンの大ファンだったビートルズ。『♪プリーズ・プリーズ・ミー』はロイ・オービソンの『♪オンリー・ザ・ロンリー』を意識して作った曲。ジョージ・マーティンに直されるまでもっとスローな曲だった。ポール・マッカートニーがロイ・オービソンとのツアー中に書いたのが、『♪オール・マイ・ラヴィング』。その後、クールな出で立ちを気に入ったロイ・オービソン、これがサングラスを掛け続け、それは彼のトレードマークとなった。


「素敵な女性(a Pretty Woman)には金などいらないさ」と言った。

ある日、出かけようとした妻・クローデッド・オービソンに「お金はいるか?」と聞いた。すると、一緒にいたソングライターのビル・ディーズが「素敵な女性(a Pretty Woman)には金などいらないさ」と言った。その言葉に触発されて、クローデッド・オービソンが家に帰ってくるまでに、ロイ・オービソンは名曲を書き上げた。それが『♪オー・プリティ・ウーマン(Oh, Pretty Woman)』。この曲は、1964年三週連続全米No.1の大ヒットとなった。その2年後、彼の人生を大きく変える悲劇が起きる。バイクが好きだったロイ・オービソンとクローデッド・オービソンはいつものように ツーリングに出かけた。その道中、無謀運転のトラックにクローデッド・オービソンのバイクが巻き込まれ、彼女は帰らぬ人となる。妻を突然失ったショックで曲が作れなくなったロイ・オービソン。それでも、仕事をすることで心の整理をしようとするが、さらに悲劇が襲う。イギリス・ツアーで不在にしていた自宅が火事になり、3人の息子のうちの2人、ロイ・オービソン・ジュニアとトニー・オービソン が亡くなる。それでもロイ・オービソンはレコード会社を移籍し曲を書きレコーディングを続けるが、いいものが作れなくった。さらに、それまでのヒット曲を超えることができずスランプに陥る。1967年にはロイ・オービソンは主役として映画にも出演したりするがその後は、アメリカ以外の国を周りカントリー歌手として地味に働きつづける。1969年ツアー先のドイツで出会ったバーバラと結婚。残された息子と新しい家庭を築く。アメリカで再び本格的に活動を再開したのは1977年。ロイ・オービソンの名曲は、リンダ・ロンシュタットやドン・マクリーン、J.D.サウザーなどにカバーされヒットする。


ロックからカントリーまで様々なミュージシャンに愛され影響を与え続けたロイ・オービソン。

1975年ブルース・スプリングスティーンは
アルバム「ボーン・トゥ・ラン」を作る時こう言った
「ボブ・ディランのように詩を書き、
フィル・スペクターのように曲を書き、
デュアン・エディのようにギターを弾き
そしてなによりも
ロイ・オービソンのように歌いたい」



1980年、ロイ・オービソンはカントリーの歌姫エミルー・ハリスと歌った『♪胸ときめいて』でグラミー賞を初めて受賞する。亡き妻クローデッド・オービソンを歌った『♪オー・プリティ・ウーマン(Oh, Pretty Woman)』は1982年にヴァン・ヘイレンがカバーしヒット。1986年にはデビッド・リンチが映画「ブルー・ヴェルベット」で彼の曲を使用。1987年ロックの殿堂入り。この時、興奮しながらロイ・オービソンを紹介したのは、ブルース・スプリングティーン。この年の9月、LAでロイ・オービソンと彼を敬愛するミュージシャンが集まり「BLACK&WHITE NIGHT」というステージが行われる。ロイ・オービソンを囲み彼のヒット曲を歌ったのは、ジャクソン・ブラウン、トム・ウェイツ、ボニー・レイット、エルビス・コステロ、K・D・ラング、そして、ブルース・スプリングスティーン。エルビス・コステロのトレードマークのメガネは憧れのロイ・オービソンの影響。


バンド名はトラヴェリング・ウィルバリーズ。バンドは架空の無名バンドの設定。

ある日突然、子供の頃からロイ・オービソンの大ファンだという男から電話がかかってくる。電話の主は、E.L.O.(エレクトリック・ライト・オーケストラ)のフロントマンでプロデューサーのジェフ・リン。ロイ・オービソンは、テキサスの家に遊びに来なよとジェフを誘う。これがきっかけで夢のバンドが誕生する。1988年、ロイ・オービソンとジェフ・リンはジョージ・ハリスンを誘って食事をする。その際に、3人はジョージ・ハリスンに誘われ、彼のためにシングルB面用にレコーディングをすることになる。レコーディングは、ボブ・ディラン所有のスタジオを借りる。ジョージ・ハリスンは、トム・ペティに預けてあったギターを取りに行ったついでに、トム・ペティをレコーディングに誘う。さらに、ボブ・ディランも参加して5人で『♪ハンドル・ウィズ・ケア』をレコーディング。B面じゃもったいなくなって、ついにはアルバムを10日間で作り上げる。バンド名はトラヴェリング・ウィルバリーズ。バンドは架空の無名バンドの設定。長年ドサ周りをしてきた5人の兄弟バンド。トレードマークのロイ・オービソンと同じサングラス姿。全米のラジオで聞いた人は、トラヴェリング・ウィルベリーズに驚いた。聞こえきたのは、ロイ・オービソンの全盛期の歌声だったから。5人の唯一無二の歌声と演奏に誰なのかわからないわけがない。ロイ・オービソンと彼のファン4人のアルバムはたちまち大ヒット!当然のごとくグラミー賞も受賞する。彼を敬愛する後輩たちによって全盛期のロイ・オービソンが帰ってきた。しかし、その年の息子と母親が暮らす実家で、大好きなラジコン飛行機で遊んだ後、くつろいでたロイ・オービソンは突然倒れ、心臓麻痺で亡くなった。こうして、彼の波乱の短く太い52年間は幕を閉じた。2年後の1990年、『♪オー・プリティ・ウーマン』は、映画「プリティ・ウーマン」の主題歌となりリバイバル・ヒット。この年のグラミー賞を受賞する。ミュージシャンも映画監督と話すとき、影響を受けた作品や人について語るときが、自身の作品を語るときよりも、生き生きしていることが多い。ロイ・オービソンの音楽界に与えた影響は、彼のアルバムを聴いた後に、その後のミュージシャンの曲を聴くとよくわかる。ロイ・オービソンとサングラス。過去の話として埋もれるのでなく、きらきらと輝く時間があったことは確かだ。それを知れた自分は、ロイ・オービソンの曲を聴きながら、人生の深みに感謝。死後に発表されヒットした『♪ユー・ガット・イット』。1955年の女たちのロードムービー。『♪ボーイズ・オン・ザ・サイド』でウーピー・ゴールドバーグが歌うこの曲も素敵だった。サングラスはロイ・オービソンの心を隠していた・・・だから僕たちは彼の人生に起こったことを知らなかった。













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