永遠の夢に向かってカリフォルニア・ブルー

 

カリフォルニア・ブルー

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Roy Orbison - California Blue































『ミステリー・ガール』(Mystery Girl)は、1989年に発表されたロイ・オービソンのスタジオ・アルバム。オービソンは1988年12月6日に死去しており、遺作として発売された。トラヴェリング・ウィルベリーズのアルバム『トラヴェリング・ウィルベリーズ Vol.1』(1988年)でオービソンと共演したジョージ・ハリスン、ジェフ・リン、トム・ペティが参加。また、トラヴェリング・ウィルベリーズのレコーディングをサポートしたジム・ケルトナーや、トム・ペティが率いるハートブレイカーズのメンバーであるマイク・キャンベル、ベンモント・テンチ、ハウィー・エプスタインも、多くの曲に参加している。U2のボノとジ・エッジが書き下ろしの新曲「シーズ・ア・ミステリー・トゥ・ミー」を提供し、ボノはレコーディングにも参加した。「コメディアンズ」はエルヴィス・コステロのアルバム『グッバイ・クルエル・ワールド』(1984年)に収録されていた曲だが、コステロ本人がオービソンのために一部を改変したヴァージョンである。本作は、オービソンのアルバムとしては初めて、母国アメリカのBillboard 200でトップ5入りを果たした。本作からの第1弾シングル「ユー・ゴット・イット」は、アメリカでは25年振りにBillboard Hot 100のトップ10入りを果たして最高9位に達し、全英シングルチャートでは3位に達して23年振りのトップ10入りとなった。イギリスでは更に、「シーズ・ア・ミステリー・トゥ・ミー」が27位、「カリフォルニア・ブルー」が77位に達した。2007年に発売された日本盤再発CDのボーナス・トラック「ユー・メイ・フィール・ミー・クライング」は、映画『エンド・オブ・バイオレンス』(1997年公開)に使用されていた曲で、プロデュースはブライアン・イーノによる[13]。同曲は、ボックス・セット『The Soul of Rock and Roll』(2008年)にも収録された。

ロイ・オービソン(Roy Orbison, 1936年4月23日 - 1988年12月6日)は、アメリカ・テキサス州ヴァーノン出身の歌手。故郷でのタレント活動などを経て1955年にレコード・デビューし、伸びやかなファルセットが特徴的な歌声とロカビリー調の楽曲で、1960年代前半から中盤にかけて大きな成功を集めた。1980年代には、ジョージ・ハリスンとジェフ・リンによる覆面プロジェクト「トラヴェリング・ウィルベリーズ」のメンバーとしても活動した。代表曲に、「オー・プリティ・ウーマン」や「オンリー・ザ・ロンリー」などがある。愛称は、ビッグ・オー(The Big O)。父親の手ほどきでギターを習得し、幼少の頃から地元のラジオやテレビ番組などに出演していた。高校時代に結成していたバンド、ティーン・キングスでの手腕がバディ・ホリーのプロデューサーだったノーマン・ペティに見出され、1955年にシングル「ウービィ・ドゥービィ」でデビュー。その後、1956年から1959年にかけてサン・レコードとRCAビクターでエルヴィス・プレスリーの後釜的存在として活動し、数枚のシングルを発表したが、ヒットには恵まれなかった。しかし、1959年にモニュメント・レコードへ移籍してからは運気が好転し、一転してヒット曲を連発。在籍していた1959年から1965年にかけて、全米と全英のトップ10チャートにそれぞれ9曲、10曲のシングルを送り込んだ。その中でもとりわけ1964年に発表された「オー・プリティ・ウーマン」は全米・全英チャートで共に1位を獲得し、全世界で400万枚のセールスを記録する大きな成功を収めた。同曲は、1982年にヴァン・ヘイレンによってカバーされて全米トップ20内にランクインするリバイバルとなり、1990年にはゲイリー・マーシャル監督の映画『プリティ・ウーマン』の主題歌として大きな注目を集め、オービソンの数あるヒット曲の中では最も有名な作品となっている。1963年には、当時ブレイクしたばかりのビートルズとのジョイント・ツアーを敢行。以降は、本国のアメリカ以上にイギリスで大きな人気を集め、それは後年まで安定したものとなった。しかしながら、モニュメント・レコードを離れてメトロ・ゴールドウィン・メイヤーに在籍した1960年代後半以降の活動は不調が続いた。さらに、1966年に妻がオートバイの事故で死去し、2年後には火事で息子のうち2人を失うなど、同時期はプライベートでも大きな悲劇に見舞われている。ただし、1967年にはオービソンの主演映画『The Fastest Guitar Alive』が公開されている。そして1969年、オービソンはバーバラと再婚した。

アサイラム・レコードで活動していた1970年代もヒット曲には恵まれなかったが、同時期はリンダ・ロンシュタットの「ブルー・バイユー」や先述のヴァン・ヘイレンの「オー・プリティ・ウーマン」など、他のアーティストによる過去のヒット曲のカバーがヒットチャートを賑わせた。また、自身も1980年にエミルー・ハリスとのデュエット曲「ザット・ラヴィン・ユー・フィーリン・アゲイン」がグラミー賞を受賞するなど、絶好調とはいかないまでも着実な成果もあげている。また、1986年には「イン・ドリームス」が、映画監督デヴィッド・リンチによる『ブルーベルベット』において、ストーリーと密接に関係した形で非常に重要な扱いで取り上げられる。同監督は、後に2001年の『マルホランド・ドライブ』においても、やはりオービソンの「クライング」をフィーチャーしている(ただし、オービソンによるオリジナルではなく、レベッカ・デル・リオによるスペイン語歌詞のアカペラバージョン)。その後は、ヴァージン・レコードで地道な活動を続けたオービソンは、デビューから32年後の1987年にロックの殿堂入りを果たす。同年9月にアンバサダーホテルのクラブ「ココナッツ・グルーヴ」で行われたステージでは、エルヴィス・コステロやブルース・スプリングスティーン、トム・ウェイツなどといった豪華な顔ぶれと共に演奏し、ベテランとしての貫禄を大衆にアピールした。その時の模様は、後にライヴ・アルバム『ブラック・アンド・ホワイト・ナイト』としてリリースされた。翌1988年には、ジョージ・ハリスンとジェフ・リンによって結成されたスーパーバンド「トラヴェリング・ウィルベリーズ」にボブ・ディラン、トム・ペティとともに参加。メンバーがそれぞれ変名を名乗ったこのバンドにおいて、オービソンは「レフティ・ウィルベリー」という偽名で参加した。ウィルベリーズのアルバム『トラヴェリング・ウィルベリーズ Vol.1』は全米のビルボードのアルバムチャートでトップ10以内にランクインする大ヒットを記録し、このアルバムの成功によって、彼は久々にミュージック・シーンの第一線にカムバックすることとなった。しかしその矢先の同年12月6日、オービソンは心筋梗塞のため急逝。52年の短い生涯に終止符を打った。

1960年代に各国でその音楽が親しまれた彼の突然の訃報は世界に衝撃を与え、1989年に発表された遺作『ミステリー・ガール』やシングル「ユー・ゴット・イット」は久々のヒットとなっている。同年にはソングライターの殿堂入りを果たした。1992年、未発表音源を中心としたアルバム『キング・オブ・ハーツ』が発表された。同作には、オービソンの死後にオーバー・ダビングが施されて完成した曲も含まれている。2010年にはハリウッド・ウォーク・オブ・フェームの星を獲得した。













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