ダンケルク

ダンケルク
















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映画『ダンケルク』






































映画とは“体験”だ。

映画とは“体験”だ──クリストファー・ノーラン監督が“本物”しか撮らない理由。「ダークナイト」3部作、「インセプション」「インターステラー」……新作を発表するたびに文字通り世界を驚かせてきたクリストファー・ノーラン監督が、自身初となる実話の映画化に挑戦した。題材に選び取ったのは、第2次世界大戦中の1940年に起こった「ダンケルクの戦い」。フランスの港町ダンケルクでドイツ軍に包囲された英仏連合軍の兵士40万人を救うため、イギリスの輸送船や駆逐艦、民間船までもが動員された救出作戦だ。ノーラン監督自ら「人類史上最大のストーリーの1つ」と語るこのテーマに、どのようにして挑んだのか。来日したノーラン監督に、話を聞いた。フィルム主義で徹底した本物志向、CGは極力使わない。ノーラン監督のこだわりは、映画ファンの多くが知るところだ。本作でも、本物の戦闘機「スピットファイア」を飛ばし、現地の砂浜で撮影し、当時の駆逐艦までも海上に浮かべたという。なぜノーラン監督はここまでして“本物”を映そうとするのか?その答えの1つは、ノーラン監督を構成する“3つの要素”にあった。「僕にひらめきを与えてくれるのは、映画・体験・音楽の3つ。まずは映画の歴史だね。特にサイレント時代の映画の影響を色濃く受けていて、例えばセシル・B・デミルだとか、エリッヒ・フォン・シュトロハイム、D・W・グリフィス……そういったサイレント時代の映画は、今作られてる映画とは違う話法で作られているから、勉強になるんだよ。そして、色々な地域を旅するなかで得た体験だ。この『ダンケルク』に関して言うと、実は(妻で)プロデューサーのエマ・トーマスと昔小船に乗って、一緒に(舞台となる)ドーバー海峡を渡っているんだ。その体験でひらめきを得たよ。そのほかだと、音楽に触発されることもあるね」。


かつて映画というものは、「見る」ものである以前に「体験する」ものだった。

ノーラン監督が口にする“体験”は、これまでの作品群、そして本作を語る上でも外せない要素だ。かつて映画というものは、「見る」ものである以前に「体験する」ものだった。映画の発明者として知られるリュミエール兄弟が「ラ・シオタ駅への列車の到着」を上映したとき、当時の観客は本物の列車が目の前に迫ってくると錯覚して驚いたという。「ダンケルク」も同様に、画面の中には“本物”しかない。そのことが圧倒的な臨場感を呼び起こし、観客はまるで自分が戦場にいるかのような錯覚に陥るのだ。「子どものときから映画を作ってきた」と映画と共に生きてきたというノーラン監督は、映画史の偉人たちが世に与えた“衝撃”を、現代によみがえらそうとしているのではないか? その問いにノーラン監督はゆっくりとうなずき「今の時代は色々な形のエンターテインメントがあるから、ストーリーを消化するにも多種多様な方法がある。そういうなかで、やはり大事なのは、映画にしかないユニークな力を観客に思い出してもらうこと」と述べる。「映画の醍醐味(だいごみ)とはなんなのか、それはつまり僕に言わせるなら、スペクタクルであり、またその状況に共感し、また集団で感情を揺さぶられる“体験”だと思う。映画がすべてそうである必要はないんだが、そういった作品がたまにやってくると、『ああ、映画にしかないものってこういうことだった』と思い出すんだ。テレビ番組やラジオ劇でも良い作品はもちろんあるが、やはり映画でしか語れない作品というのがあって、そういったものが大事なんだと思うよ」。映画は体験である。この考えが、ノーラン監督を“本物”ヘと駆り立てる情熱の正体ではないだろうか。


観客には、まるであの現場にいたかのような、そういう実体験をしてもらいたい。

本作では“陸”“海”“空”の3つの視点で物語が進行するが、それぞれの時間軸が巧妙にずらされており、3つの視点すべてで、その場にいる登場人物が“今”体験している事態だけを主観的にとらえるという構成になっている。この演出にも、“体験”を何よりも重視するノーラン監督ならではの考えがあった。「僕は映画を作る上で、どの視点で語るかというのを常に意識している。『ダンケルク』ではあくまでもあの戦場にいた人たちの主観で、どの場面においても彼らの主観で撮りたかった。そして観客には、まるであの現場にいたかのような、そういう実体験をしてもらいたかったんだ。例えば将軍たちが部屋の中で集まって、地図を指差しながらあれこれ説明するようなカットバック的なものは使いたくなかった。観客には、ずっと現場にいてほしかったんだよ。それで3つの視点で語ることにした。観客がそれぞれの視点を見進めていくうちに、最終的にダンケルクではこういうことが行われていたんだ、という大局が消化できるようになることをねらっているんだ」。この3つの視点で描く構造は、黒澤明監督の「羅生門」に影響を受けているんだとか。「それぞれの登場人物の視点から語られたストーリーを少しずつ見ていくことで、観客が実際はどうだったのかを徐々に想像できるという構造が、とても革命的だった。初めて見たのは大学時代だ。エマと僕は同じ大学の映画研究会に所属していてね、16ミリフィルムの『羅生門』の上映企画を行ったんだよ」。この“体験”がノーラン監督の血肉となり、年月を経て本作にたどり着いたというわけだ。これからもノーラン監督は、あらゆる映画から得た体験を、自身の作品への燃料へと変えていくのだろう。インタビューの端々で映画愛をにじませ、「映画作りは、丹念に丹念に積んでいかないといけない。適当にやってはいけないんだ」と熱く語るノーラン監督の表情は、世界的巨匠でありながら映画少年そのものだった。


『ダンケルク』に込めた死生観「栄光の死なんてない」

戦争映画というシンプルなカテゴリーでは到底語り尽くせないクリストファー・ノーラン監督作『ダンケルク』(9月9日公開)。『インセプション』(10)や『インターステラー』(14)に続く革新的な映像体験はもとより、多層的に描かれた人間ドラマにもうならされる。来日したノーラン監督に単独インタビューし、その舞台裏に迫った。今回ノーラン監督は初めて実話の映画化に臨んだが、イギリス人である監督にとって「ダンケルク」という題材には、特別な思い入れがあった。本作で描かれるのは、第二次世界大戦中にフランスの港町ダンケルクで起きた史上最大の救出劇だ。ドイツ軍に追い詰められたイギリスとフランスの連合軍兵士40万人を救出しようと、イギリスから軍艦だけではなく約900隻の民間船が自らの意思でダンケルクに向かった。この不屈の精神と決意は、イギリス人の誇り“ダンケルク・スピリット”として、後世に語り継がれている。ノーラン監督に言わせると「体に染み込んでいる」そうだ。陸の防波堤での1週間、海峡を渡る船での1日、空中戦での1時間と、それぞれの異なる時間軸を編み込んだ緊迫感溢れる106分間。映像への没入感はハンパなく、怖くて思わず目を背け、弾を避けようとしてピクリと体が動く瞬間もあった。まさに「一切緩急をつけず、お客さんを休ませないという容赦ない映画にしたかった」と言うノーラン監督の狙い通りだ。戦場の対局を見せる上で監督がこだわったのは、ダンケルクから外へとカットバックしないことだった。「軍の上層部や政治家たちが何かをしゃべっているといったありがちなシーンに飛ばすことを一切禁じた。ひたすら戦場を映すことで、そこでのドラマが深くなり、サスペンスで引っ張っていくことができると考えたんだ」。空から援護射撃をするイギリス軍パイロット・ファリア役のトム・ハーディとは、『インセプション』、『ダークナイト ライジング』(12)に続いて3度目のタッグとなった。奇遇にもトムの祖父が当時ダンケルクの戦地にいて、彼が少年の頃、退役軍人の祖父からその話を聞いていたそうだ。「トムのおじいさんの件はオファーの際には全く知らなかった。まあ、第二次大戦で祖父母を亡くしたイギリス人は大勢いるからね。僕の祖父も第二次世界大戦に趣き、ダンケルクにはいなかったけど、空軍でパイロットをしていて亡くなっている」。トム・ハーディのキャスティングの決め手は前2作で認めた演技力にあった。「パイロットは操縦席に乗り込んだ後、マスクを付けっぱなしになるので、目で感情とストーリーを語れる俳優が欲しかった。彼は『ダークナイト ライジング』の時も、マスクをつけた役柄(ベイン)を演じていたが、目だけでも見事な演技を見せていたから」。


戦場の死というのは非常にランダムなもので、生きるか死ぬかの境目が決まるのは“たまたま偶然”に過ぎないという点だ。

ノーラン監督の名を日本で最初に知らしめたのは監督2作目の『メメント』(00)だろう。映画デビュー作『フォロウィング』(99)と同様に、時系列をシャッフルするという脚本の新たな方程式を見せ、映画ファンを驚嘆させた。脚本家としても超一流のノーラン監督だが、今回は史実をリスペクトし、一切キャラクターの背景を盛らず、敢えて台詞を極力抑えた。「兵士たちの口から、自分はどこから来たのか、どういう人なのか、といったことを説明させないようにした。あくまでもその兵士がその場で立たされた現状に、お客さんが引き込まれていく映画にしたかった。途中でテンションを緩ませたくなかったんだ」。お手本にしたのは、アルフレッド・ヒッチコックやアンリ・ジョルジュ・クルーゾなどサスペンスの巨匠の作品だ。「彼らは台詞ではなくビジュアルでテンションを挙げ、ストーリーを語っている。そういったアプローチは脚本段階からこだわり、脚本自体も76ページという非常に簡潔なものとなった」。登場するのは架空の人物だが、彼らはノーラン監督がリサーチした当時の資料や、実際にダンケルクで生き延びた退役軍人たちから聞いた体験談を反映させたリアルなキャクラターたちだ。ダンケルクで多くの兵士たちが次から次へと命を落としていく中、ある民間人の少年の死も描かれていく。そこにはノーラン監督の戦争における死生観が投影されていた。「このエピソードも、戦時中のいろんな実体験をベースにしたものだが、実は彼のキャラクターには非常に重要な役割がある。僕があの少年の死を通して訴えたかったことは、戦場の死というのは非常にランダムなもので、生きるか死ぬかの境目が決まるのは“たまたま偶然”に過ぎないという点だ」。ノーラン監督は「戦地においての栄光の死というもの描きたくなかった」と語気を強める。確かに兵士ではない少年を死に至らしめたのは、不運な出来事だったというしかない。「死んだ兵士に対して生き残った者が、『君は英雄だ』とか『立派な自己犠牲を払った』とかいろんな後付けの解釈を加えることがよくある。でも、僕はそう思わない。実際、彼らが死んだのはたまたまだったんだ」。その少年は戦地の状況について何も理解していないまま救出作戦に参加し、悲劇に見舞われる。「彼は非常にナイーブで良い少年で、兵士たちを助けようとする。そんな彼が死んでしまうことはとても不条理なことだ。でも、実際に戦場の男たちの運命というのはそういうものなんだと僕は思う。つまり戦地では勧善懲悪の原理なんて一切働かない。モラルがある人だからといって、生きながらえるわけではないんだ」。身内を戦争で亡くしているノーラン監督の口から出た言葉だからこそ、より一層重みが感じられる。折しも不安定な世界情勢となり、日本もきな臭い状況にある今、『ダンケルク』が公開されることはとても意義深い。多くの戦争映画の場合、ベクトルは“死”へ向かうのだが、本作では救出劇という“生”に向けられている気がするからだ。まあ、いろんな講釈はさておき、一番声を大にして言いたいことは「この映画史上に残るエポックメイキングな映画は、絶対にでかいスクリーンで体感すべきだ!」ということ。


クリストファー・ノーラン

クリストファー・ノーラン(Christopher Nolan)は、イギリス出身の映画監督・映画プロデューサー・脚本家。ロンドンでコピーライターの父と客室乗務員の母のもとに生まれる。父親はイングランド人、母親はアメリカ人であるため、イギリスとアメリカの国籍を持つ。幼少の頃はロンドンとシカゴの両方で過ごした。その後ハートフォードシャーのインデペンデント・スクールであるヘイリーベリー・アンド・インペリアル・サービス・カレッジを卒業後、ロンドン大学ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンに入学。イギリス小説を学ぶ傍ら、短編映画の制作をはじめる。1998年、『フォロウィング』で初めて長編映画の監督を務める。2作目となった『メメント』の脚本は、弟のジョナサン・ノーランが書いた短編を基にしており、この作品で一気に注目されるようになり、ロサンゼルス映画批評家協会賞やインディペンデント・スピリット賞などを受賞する。2000年代には新生『バットマン』シリーズの監督に抜擢される。2005年公開の『バットマン ビギンズ』では期待に反し平凡な興行成績に留まるも、2008年公開の続編『ダークナイト』は公開6日で『バットマン ビギンズ』の興行収入を超えて『バットマン』シリーズ最大のヒットとなり、最終的に全米興行収入歴代2位、世界興行収入歴代4位を記録した(全て公開時)。また、悪役「ジョーカー」を演じたヒース・レジャー(撮影終了後に死去)は第81回アカデミー賞助演男優賞を受賞。この作品の成功によりノーランが監督した『バットマン』シリーズはアメリカでは『ダークナイト・トリロジー』と呼ばれるようになった。2012年公開の完結作『ダークナイト ライジング』でも監督を務めた。私生活では、1997年に映画プロデューサーのエマ・トーマスと結婚。4人の子供と共にロサンゼルス在住。また、左利きである。


作風

インターネット嫌いを公言しており、『インターステラー』にはパソコン、携帯電話などインターネットを想起させるものは出さなかった。その理由としてインタビューで「ネットのせいでみんな本を読まなくなった。書物は知識の歴史的な体系だ。ネットのつまみ食いの知識ではコンテクストが失われてしまう」と語っている。IMAXを初めて長編映画で使用した監督である。あまり最先端技術には興味を示さず、『ダークナイト』ではCGではない本物のビルを丸ごと1棟爆破して撮影を行った。『インターステラー』で使われている一部の地球の映像はCGではなく実際にジェット機の先端にIMAXカメラを搭載し成層圏で撮ったものである。大掛かりな撮影が困難な時はミニチュアなどによる特撮を起用し極力CGの使用を避けている。撮影現場では第二班(本編撮影とは別に、背景やアクションシーンなど、ドラマシーケンス間を構成する、つなぎのシーケンスを担当する撮影チーム)監督をほとんど使わず、自らカメラの横に立って撮影を行う姿勢を貫いている。現在の映画界ではほとんどの監督がデジタルカメラで撮影しているが、彼はフィルムを使った撮影を行っている。2014年8月には、他の数人の映画監督と共に映画スタジオに働きかけ、フィルムメーカーのコダックから今後 一定量のフィルムを購入する契約を締結させたため、経営難だったコダックはフィルム製造の継続が可能になった。音響面では「無限音階(シェパード・トーン、Shepard tone)」を多用していて、ほぼ全作品で使われている。『007』シリーズのファンであり、2010年の『インセプション』公開時に初めて「いつかボンド映画を監督したい」と発言しており、現在もシリーズのプロデューサーと話し合いを続けている。特に『女王陛下の007』が気に入っていると述べている。また、『バットマン』シリーズや『インセプション』がボンド映画の影響を受けていることも明かしている。『バットマン』3部作を監督するにあたって最も影響を受けた映画として、リチャード・ドナー監督の『スーパーマン』と「007」シリーズ、特に『007 ロシアより愛をこめて』を挙げ、『ダークナイト』ではヒース・レジャー演じるジョーカーが『ロシアより愛をこめて』に登場するナイフ付きの靴を使用するシーンがある。2013年には「Sight and Sound マガジン」にて、好きな映画として『殺し屋たちの挽歌』 (1984年)、『十二人の怒れる男』(1957年)、『シン・レッド・ライン』 (1998年)、『怪人マブゼ博士』(1933年)、『ジェラシー』(1980年)、『戦場のメリークリスマス』(1983年)、『宇宙へのフロンティア』(1989年)、『コヤニスカッツィ』(1983年)、『アーカディン/秘密調査報告書』(1955年)、『グリード』(1925年)の10本を挙げている。監督作の評価は高い傾向があるが、製作として参加している作品の評価は低い傾向がある。


















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