永遠の夢に向かってキャン・ユー・ヒア・ミー・ノッキング

 

キャン・ユー・ヒア・ミー・ノッキング

キャン・ユー・ヒア・ミー・ノッキング















RonnieScotts_convert_20170825145753.jpg















『スティッキー・フィンガーズ』





































『スティッキー・フィンガーズ』 (Sticky Fingers) は、1971年に発表されたローリング・ストーンズのオリジナルアルバム。全英、全米共に1位を記録。プロデューサーはジミー・ミラー。レコーディングエンジニアはグリン・ジョンズ、アンディ・ジョンズ、クリス・キムジー、ジミー・ジョンストン。本作は彼らが設立したローリング・ストーンズ・レコードからリリースされた初のスタジオ・アルバムである。『ベガーズ・バンケット』から見られるようになったサザン・ロック・サウンドをより深化させた内容となっている。本作に収録されている楽曲は全て後にライヴで一度以上取り上げられている。同様のオリジナルアルバムは本作の他は『ブラック・アンド・ブルー』(1976年)と『女たち』(1978年)のみである。本作は新メンバーのミック・テイラーが初めてフルで参加している作品であると共に、ブライアン・ジョーンズが全く関わっていない最初のストーンズ作品でもあった。ミック・ジャガーも1995年のインタビューで「(制作中は)妙な感じがした。全く新しい世界だったよ。『ベガーズ・バンケット』が一時代前のものに思えたぐらいさ」と当時を振り返っている。本作は『ベガーズ・バンケット』、『レット・イット・ブリード』、『メイン・ストリートのならず者』と並び、ストーンズの最高傑作として高評価を受けている。本作収録曲のうち「シスター・モーフィン」のみ、前作『レット・イット・ブリード』のセッションの中で録音されており、他の曲はグループ6度目の北米ツアーの最中である1969年12月1日から4日にかけての、アラバマのマッスル・ショールズ・スタジオでのセッションから始まった。この2日後に開催された「オルタモントの悲劇」で悪名高いオルタモント・フリーコンサートでは、この中から「ブラウン・シュガー」が披露されている。翌1970年以降も断続的にロンドンのオリンピック・スタジオと、スターグローヴスにあるミック・ジャガー邸に持ち込まれたモービル・スタジオで大半を録音した。次作『メイン・ストリート…』に収録された曲の初期ヴァージョンも、このレコーディング・セッションで録音されている。9月から始まったヨーロッパツアーと並行しながら、最終オーヴァーダビングとミキシングを1971年1月に行い完成させた。『スティッキー・フィンガーズ』とは、元々は制作中の仮タイトルだったが、結局これがそのままアルバムのタイトルに使用された。1970年はストーンズとして初めて新曲が1つも発表されない年だったが、一方では大変重要な年でもあった。デッカ/ロンドンとの契約が切れたこの年、グループはプライベート・レーベル「ローリング・ストーンズ・レコード」を設立した(契約先はアトランティック・レコード)。これには1965年にストーンズのマネージャーとなり、グループの著作権と財政を意のままに操っていたアラン・クレインと決別する目的もあった。だがクレインとの契約は非常に複雑な法律がからんでおり、これから逃れるため、ストーンズのメンバーはイギリスから離れ、フランスへの移住を余儀なくされた。しかしグループとクレインの間で和解が成立せず、その後2年間にわたり法的闘争が行われることになる。裁判の結果、1970年以前のストーンズの作品の出版権はクレインと彼の会社アブコ・レコードの手に渡り、以降様々な編集盤がアブコからリリースされることとなる。本作収録の「ブラウン・シュガー」や「ワイルド・ホース」がアブコ・レコードとローリング・ストーンズ・レコード双方の編集盤に収録されることがあるのはそのためである。デッカとの契約は1970年7月末日を以って終了したが、デッカはストーンズに対しシングルをもう一枚リリースする義務があると通知した。それに対し彼らは、とても放送には耐えうる内容ではない「コックサッカー・ブルース」を提出し、デッカに意趣返しを試みた。デッカは代わりに「ストリート・ファイティング・マン」を1971年にシングルとしてリリースした。ビル・ワイマンは1989年、本作のタイトルを冠したレストラン「スティッキー・フィンガーズ」をロンドン、ケンジントンに開店している。本作のジャケットデザインは、アンディ・ウォーホルが手がけた。表側はジーンズを穿いた男性の股間のクローズアップで、裏側では尻を向けている。表側には本物のジッパーが取り付けられており、実際に開くことが出来る。なお、このジッパーは英・米盤では無印だが、日本盤ではYKK製であることが確認できる。このジッパーはCDケースでは再現不可能であることから、CD時代になってからは廃されるようになったが、一部のリイシューではジッパーが取り付けられているものもある。ジャケットの中には、ブリーフを穿いた男性の股間の写真が封入されている。モデルの正体はジャガーではないかという噂もあったが、ジャガーは「これはウォーホルの・・・"弟子"っていう上品な言葉を、当時の俺達は使ってたんじゃないかな」と語っている。スペイン盤では、股間のふくらみが猥褻だとして、缶詰入りの女性の指が描かれた物に変更された。但し、こちらの方が問題だとする意見もある。そのスペイン盤では「シスター・モーフィン」が歌詞の内容に問題があるとして削除され、代わりにイギリス盤シングル「ブラウン・シュガー」のB面に収録された「レット・イット・ロック」(リーズ大学でのライヴ)のステレオ・ミックスが収録された。本作はイギリス、アメリカ共に4週連続1位に輝き、それまでのグループの売上枚数を更新した。さらにオーストラリア、カナダ、オランダ、スウェーデン、ノルウェー、スペイン、ドイツでも1位となり、世界的な大ヒット作となった。セールスのみならず作品としての評価も高く、2002年には「ローリング・ストーン」誌のグレーティスト・アルバム500で64位に、翌年のTVネットワークのVH1が本作を最も偉大なアルバム・ジャケットに選出し、グレーティスト・アルバムで46位となった。ジャガーは「このアルバムを誇りに思う」と語り、キース・リチャーズも1987年のインタビューで「やっぱり『ベガーズ…』と『レット・イット・ブリード』と『スティッキー…』、それと『メイン・ストリート…』の4枚がいいね」と答えている。ミック・テイラーも「僕がストーンズにいた頃のアルバムでは一番好きだ」とコメントしている。1994年、ヴァージン・レコードからリマスターCDがリリースされた。2009年にはユニバーサル・ミュージック・グループにより再リマスター版がリリース。2011年、日本限定で最新リマスター版がSACDにてリリースされた。2015年には未発表テイクを追加収録した「デラックス・エディション」が、さらに、1971年のリーズ大学のライブを収めたCDと同年のマーキー・クラブでのライブを収めたDVD、また「ブラウン・シュガー」、「ワイルド・ホース」の7インチシングルを同梱した「スーパー・デラックス・エディション」が限定発売された(リマスターは2009年のもの)。2015年版は全英7位、全米5位を記録した。














STAR






Guide
  •  …この記事と同じカテゴリの前後記事へのページナビ
  • nbsp;…この記事の前後に投稿された記事へのページナビ
 

~ Comment ~

  ※コメントの編集用
  シークレットコメントにする (管理者のみ表示)

~ Trackback ~

卜ラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

MENU anime_down3.gif