永遠の夢に向かってチャンスを逃すな!

 

チャンスを逃すな!

チャンスを逃すな!















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映画『ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ』


















































1954年アメリカ。

世界最大級のファーストフードチェーンを作り上げたレイ・クロック。日本国内でも多くの起業家たちに、今なお絶大な影響を与え続けている。50代でマック&ディック兄弟が経営する『マクドナルド』と出会ったレイ・クロックが、その革新的なシステムに勝機を見出し、手段を選ばず資本主義経済や競争社会の中でのし上がっていく姿は、まさにアメリカン・ドリームの象徴だ。手段を選ばず資本主義経済や競争社会の中でのし上がっていくレイ・クロックと、マクドナルド兄弟の対立が決定的になる過程は、どこか後ろめたさを感じながらも、スリルと羨望、反発と共感といった相反する複雑な感情を観る者に沸き起こすに違いない。型破りな起業家レイ・クロック役を演じるのは、『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』(2014年)でアカデミー賞主演男優賞ノミネートのマイケル・キートン。ギラギラとした野心と圧倒的な情熱を持ちアクは強いが人々を魅了するレイを見事に体現している。レイの妻エセル役を『わたしに会うまでの1600キロ』(2014年)でアカデミー賞候補になったローラ・ダーン。職人気質で人の良さがにじむマクドナルド兄弟役には、『ロング・トレイル!』(2015年)のニック・オファーマン(弟・ディック役)と、『テッド2』(2015年)のジョン・キャロル・リンチ(兄・マック役)。そのほか、アメコミ大作『アクアマン(原題)』の公開が控えるパトリック・ウィルソン、『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』(2015年)のリンダ・カーデリーニら実力派が脇を固める。監督は、『しあわせの隠れ場所』(2009年)、『ウォルト・ディズニーの約束』(2013年)のジョン・リー・ハンコック。マクドナルド兄弟の子孫や家族からの信頼を得て、マクドナルド兄弟とレイの書簡や記録写真ほか多くの資料をもとに、『レスラー』(2008年)のロバート・シーゲルが書き上げたオリジナル脚本を映像化した。熱い情熱で挑戦を続け、世界有数の巨大企業を築き上げた彼は英雄なのか。それとも、欲望を満たす為にすべてを飲み込む冷酷な怪物なのか。野心と胃袋を刺激する物語。1954年アメリカ。52歳のレイ・クロックは、シェイクミキサーのセールスマンとして中西部を回っていた。ある日、ドライブインレストランから8台ものオーダーが入る。どんな店なのか興味を抱き向かうと、そこにはディック&マック兄弟が経営するハンバーガー店『マクドナルド』があった。合理的な流れ作業の“スピード・サービス・システム”や、コスト削減・高品質という革新的なコンセプトに勝機を見出したレイ・クロックは、壮大なフランチャイズビジネスを思いつき、マクドナルド兄弟を説得し、契約を交わす。次々にフランチャイズ化を成功させていくが、利益を追求するレイ・クロックと、マクドナルド兄弟との関係は急速に悪化。やがてレイ・クロックは、自分だけのハンバーガー帝国を創るために、マクドナルド兄弟との全面対決へと突き進んでいく。


ハードワークを愛せ。仕事が遊びそのものだから。

マクドナルドは誰にでも成功を授けるわけではない。ガッツとそれを持続させる力が我々のレストランで成功するためには必要だ。常識を持ち、目標に向かっていく強い信念と、時代に逆行するがハードワークを愛せる人物なら誰でも成功できる。マクドナルドの店を持ち、真剣に働く者は、誰しもが成功し、間違いなく億万長者になるだろう。諦めずに頑張り通せば、夢は必ず叶う。もちろん、努力もせずに手に入るものではない。好き勝手にやればいいというわけではない。リスクへの覚悟が必要だ。ひょっとしたら無一文になるかもしれない。しかし、一度決めたことは絶対に諦めてはならない。仕事とは、その人の人生にとってハンバーガーの肉のようなものだ。「仕事ばかりして遊ばなければ、人間ダメになる」という格言があるが、私はこれに同意しない。なぜなら、私にとって、仕事が遊びそのものだからだ。


成功はゴミ箱の中に

誰かに幸福を与えることは不可能だ。独立宣言にもあるように、唯一できることは、その人に幸福を追う自由を与えることである。幸福とは約束できるものではない。それは、どれだけ頑張れたか、その人の努力によって得られる、その人次第のものだ。マクドナルドのフランチャイジー(フランチャイズの加盟店)になるには、頭脳明晰である必要はなく、高校以上の学歴もいらないが、100%のエネルギーと時間を投入する覚悟が何より大切だ。常識を持ち、目標に向かっていく強い信念と、ハードワークを愛せる人間なら誰もが成功し、億万長者になれる。マクドナルドの候補地を探すのは、創造欲が満たされる最も楽しい行為だ。候補地に初めて訪れた時点では、そこには何もない。ただ平地しかなく、誰の役にも立っていない。そこに、我々が店を建て、オペレーターがビジネスを始める。そして、50人から100人のスタッフを雇い、ゴミ収集人、造園技師、肉やパンやジャガイモを供給する人々に新しい仕事が生まれる。こうして何もない平地から、1年に100万ドルを生み出すビジネスができるのだ。それが現実するのを目の当たりにするたびに、非常に喜ばしい気持ちになる。この国を素晴らしい国にしたのは、競争社会だ。競争相手が私のスタイルの真似をし、計画を盗むことは阻止できない。だが、彼らは私の脳内までは盗めない。だから彼らには1マイル半の距離を残しておいてやる。我々は自分の強さを鍛える。すなわちQSC&V(品質・サービス・清潔さ・価値)に力を入れるだけだ。自己を未熟ととらえることができれば、いくつになってもみずみずしさを失わず、成長を続けていくことができる。このような姿勢で向かえる限り、人生に打ちのめされることはない。私は未熟で、成長の途中にあり、空を飛行しているような気持ちで人生を歩んでいた。私はビジネスに身体を酷使し、糖尿病と関節炎を患い、胆のうのすべてと、甲状腺の大半を失っていた。だが、生涯で最高のビジネスが私の行く先に待ち受けていると信じて疑わなかった。


糖尿病の52歳で起業。マクドナルド創業者レイ・クロック

清掃を徹底していって誰もが知る大企業にまで成長させた男がいた。もちろん清掃は要因の一つだが、それがマクドナルドを成長させたレイ・クロックだ。彼は糖尿病を患った52歳でマクドナルドを始めるという遅咲きだ。今現在、ファーストフードといえばと聞かれて多くの人たちは、マクドナルドを思い出すのではないか。それほどまでに一般の人たちに浸透していったマクドナルドは、実に世界で36,000店以上を展開して42万人もの従業員がスマイルを届けている。そんな巨大なマクドナルド帝国をわずか30年で作りあげた巨人、レイ・クロックのサクセスストーリー。


高校中退後、ペーパーカップのセールスマン、ピアノマン、マルチミキサーのセールスマンetc…若いレイ・クロックの宿舎の仲間には、変わり者がいたり・・・・・

1902年10月5日、アメリカのイリノイ州でチェコ系ユダヤ人の両親の元レイ・クロックは生まれた。高校生の時、第一次世界大戦が勃発すると当時15歳だったクロックは学校を中退して赤十字の救急車の運転手に志願した。とはいえ、若いクロックはその他の仲間たちと共に休日になると、宿舎を離れて街へ出かけると女の子を追いかけ回す生活をしたり。そんな中、宿舎に留まってずっと部屋で絵を描いていたので、クロックや皆から変人扱いをされている人物がいた。彼の名はウォルト・ディズニーといい、誰も彼がのちに偉大になるとは知らない。その後ウォルト・ディズニーはフランス軍、そしてクロックはアメリカにとどまり終戦を迎えた。クロックは兵士をやめた後、セールスマンをやりながら夜はピアニストやジャズ演奏などをして日銭を稼ぐ生活をした。20歳にもなると紙コップ販売のセールスマンとなって、そんな生活の中でもやがて結婚をする。そしてクロックは当時は珍しい、5種類のミルクセーキをすぐに作れるミキサーに感心して、奥さんの反対を押し切ってまで独立をした。独立すると、それをアメリカ全土を回って販売する営業マンに転身。奥さんとは独立の心配から口論もしたが、クロックは順調にミキサーの売り上げを伸ばしていった。しかし13年もの月日が流れ、クロックが50歳を超えると売り上げも次第に落ちていった。しかし、そんなある日のこと。なぜか次々と同じタイプのミキサーを求めるお店が多く現れた。その店長たちは口々に同じことを言う。『マクドナルド兄弟と同じミキサーを売ってくれ!』一体、マクドナルド兄弟とはどんな人物なのか気になったクロックは、彼らのお店に自ら訪ねて行く。彼らの店に脚を踏み入れると、清掃がきっちり行き届いており、ハンバーガー、飲み物、ポテトというシンプルなメニューから驚きのスピードで商品が提供される回転の早いレストランがそこにあった。


マクドナルド兄弟との決別

8台のミキサーがフル稼働して40杯分のミルクセーキができ、食器はプラスチックと紙ナプキンで効率化して、さらに低価格で1分以内に提供していた。この仕組みを見たクロックはこのレストランをフランチャイズ化することを思いつくと、マクドナルド兄弟に早速話を持ち掛けた。しかしマクドナルド兄弟は実にその店だけでも10万ドルもの利益を生み出しており、一軒家に車を3台も所有するなど満足していたのでクロックの話を断わった。事実、以前も店舗拡大の話を持ち掛けに来たところがあり断ったばかりだった。しかし、ここで諦めるクロックではない。「全てのリスクは私が取って、マクドナルドの店は私が作るから利益しかない。」と兄弟に一切のリスクがなく儲かることを説明した結果、兄弟は納得した。この時、クロックは糖尿病を患い、52歳という年齢だった。しかし年齢とは関係なく、懸命に働き翌年の1955年3月2日には、新しい会社”McDonald’s Systems Inc.”を作り、同年4月15日にクロックが直営店1号店をイリノイ州デスプレーンズにオープンした。その後も、かつて顔を合わせたウォルトディズニーにディズニーランドにマクドナルドを開くように直接交渉に行くも断られた。こうしてフランチャイズの店を広げていくために奮闘するクロックだが、店長に対して品質、サービス、清潔さ、価格の4つの柱だけは徹底的に守らせた。フランチャイズ店の展開は財政危機に落ちかけるが、徐々に増えていき、1958年には1億個ものハンバーガーの販売を達成。それに乗じて、フランチャイズとしてマクドナルドを展開した人々のかなり多くが億万長者へと変貌していった。一方のマクドナルド兄弟だがクロックとは決別してしまった。なぜなら、クロックが一生懸命働いたのに、全面的な権限がマクドナルド兄弟にあるので、兄弟は何もしなくてもお金が入っていてクロックはそのこと耐えられなくなった。そこでクロックは270万ドルを借金して兄弟からマクドナルドを買い取った。その後のマクドナルド兄弟はマクドナルドのセレモニーなどの親善大使として登場して和解していった。こうした中、1965年にようやく株式を公開すると、1983年にはハンバーガーの売り上げ数累計10億個を超えた。さらに同じ年に500店舗目の店が開設し、マクドナルドのシンボル・キャラクターとなるドナルド・マクドナルドがデビュー。すぐに国中の子供達の人気を集め、子供連れの家族がマクドナルドにやってくるようになった。笑顔や清潔なお店を心がけ、お客と従業員を大切にした結果、彼らからフィレオフィッシュやビッグマックなどのアイデアも受けてマクドナルドはどんどん成長した。こうして72歳で代表をやめたクロックはその4年後に発作を起こして車椅子での生活となったが、そのあとも自らが動いて慈善活動をしたりマクドナルドのオフィスにもほぼ毎日出社。その状態でも店長たちに電話をして店は清潔であるかどうか、夜の明かりはきちんと付いているかを確認していたという。


巨大な帝国を作り上げた帝王は齢82歳でこの世を去った。

そして1984年、1月14日。この巨大な帝国を作り上げた帝王は齢82歳でこの世を去った。そんなクロックもはじめは転職を繰り返しながら糖尿病を抱えミキサーを販売していたただのセールスマン。しかし人一倍リスクを取り人に先に利益を与えたことで、もっとも多くの億万長者を輩出し、自身も500億円もの資産を築きあげるようになった。彼は人に先に与え、誰よりもリスクをとることで、多くの成功という名の見えないリターンが返ってくるのだと教えてくれた。「もしあなたが何かを得ようと思ったら、まずはそれを人に与えることを考えてみるといいかもしれません。」幸せを手に入れるためには、失敗やリスクを超えていかなければならない。リスクのないところには成功はなく、したがって幸福もない。

-Ray Kroc
















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日本マクドナルド株式会社

McDonald's














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