永遠の夢に向かってジャック・ニコルソン

 

ジャック・ニコルソン

ジャック・ニコルソン















JackNicholsonfootprint_convert_20170717215434.jpg
















Jack Nicholson





































ジャック・ニコルソン(Jack Nicholson)は、アメリカ合衆国の俳優、プロデューサー、映画監督。ジャック・ニコルスンと表記される事もある。デビューから今日に至るまで計12回のアカデミー賞ノミネート経験(主演8回、助演4回)と3回の受賞歴(主演2回、助演1回)を持つ。アカデミー賞に12回のノミネートは男優としては最多で、また1960年代、1970年代、1980年代、1990年代、2000年代と各世代毎にノミネート経験を持つ俳優の一人である。ゴールデングローブ賞も計7回受賞し、1999年に功労賞を授与され、俳優として多くの俳優に多大なる影響を与えた。1994年、アメリカ映画協会から生涯功労賞を授与されたが、これは歴代受賞者中最年少(57歳)である。1937年4月22日、アメリカ合衆国ニュージャージー州ネプチューン・シティに、イタリア系の興行師ドナルド・フルシオ(芸名ドナルド・ローズ)、アイルランド系のショーガール、フランシス・ニコルソン(芸名ジューン・ニルソン)の子として生まれた。父ドナルドが既に家庭を持っていた為、母フランシスは私生児としてニコルソンを生んだ。後に父ドナルドが親権を主張したり、他にも父親を名乗る人物が現れたりと複雑な家庭事情の中で生まれた。またフランシスはまだ16歳の未成年であり、現役のショーガールでもあった事から祖父母によって引き取られた。母方の祖父母は育児を担当しなかった娘を「歳の離れた姉」と教え、孫ではなく晩年の子として育てる事を選んだ。彼が自らの年老いた両親が祖父母で姉と教えられていた人間が母親だと知ったのは役者として成功してからの事だった。1974年にタイム紙がニコルソンの特集を組んだ際の取材で偶然に判明し、ニコルソン本人も記者から教えられて初めて事実を知ったが、その時既に祖父母と母は亡くなっていた。祖父のジョセフ・ニコルソンは装飾家で、主にニュージャージー州マナスクアンでショーウインドーのデザインなどを仕事にしていた。祖母メイ・ニコルソンは美容師でアマチュア芸術家であった。母方のニコルソン家にはイングランド系、オランダ系、ペンシルバニア・ドイツ系の血筋もあり、彼をそれらのエスニック・グループに含める考えもあるが、本人はアイルランド系アメリカ人(アイリッシュ・アメリカン)としての家系を誇りに思う様に育てられたと語っている。宗教的にはニュージャージー州で主流であったローマ・カトリックに属している。青年期に生まれ故郷を離れてニュージャージー州スプリング・レイクのアパートに移住し 、マナスクアン市の高校(Manasquan High School)に入学した。卒業後は役者への道を選び、映画産業の中心地ハリウッドがあるカルフォルニア州ロサンゼルスへと引っ越した。現在、出身校では映画俳優として名を成したニコルソンの名を冠した演劇コンクールを行っており、ニコルソンが記念行事に顔を見せる事もある。ハリウッドに来てからはアクターズ・スタジオで学ぶ傍ら、生活費を捻出する為にメトロ・ゴールドウィン・メイヤー社のアニメーション部門で働いた。当初はGofer(制作進行などの雑用役)として入社したが、『トムとジェリー』で知られるアニメ監督のウィリアム・ハンナとジョセフ・バーベラから芸術的才能を評価され、正式な社員としてアニメ制作に加わる様に推薦されている。しかしニコルソンは役者としての夢を優先して辞退した。1958年、『クライ・ベイビー・キラー』で映画俳優としてデビューし、これが「低予算映画の王」として知られる映画監督ロジャー・コーマンの目に留まって、当時の若手俳優や製作者が多数在籍していたアメリカン・インターナショナル・ピクチャーズ社(AIP)の映画に出演する様になった。ニコルソンはアカデミー賞を受賞した後も、コーマンの低予算映画で若手時代を過ごした日々を懐かしく語っている。また俳優業だけでなく製作側にも興味を持ち、西部劇映画の撮影スタッフとしても働いていた。脚本家としても活動しており、初めて来日した時も頼まれていた映画の脚本を書きながらの船旅であったという。役者としては下積みの時代を長く過ごしたが、ロジャーの映画で共演していたデニス・ホッパー、ピーター・フォンダから誘われ、『イージーライダー』(1969年)に出演した事が転機となった。同作ではアルコール中毒の弁護士であるハンソン役を演じ、本来は別の役者が担当する予定であったこの役でアカデミー助演男優賞にノミネートされ、一躍その名を知られるところとなった。翌年公開の『ファイブ・イージー・ピーセス』では主演を務めて今度はアカデミー主演男優賞にノミネートされ、以降も『さらば冬のかもめ』(1973年)でカンヌ国際映画祭男優賞を、『チャイナタウン』(1974年)でゴールデングローブ賞主演男優賞を受賞するなど、アメリカン・ニューシネマを代表する役者に成長した。そして『イージーライダー』から6年後となる1975年に『カッコーの巣の上で』でアカデミー主演男優賞を受賞し、オスカー俳優の仲間入りを果たした。一度目のアカデミー賞を得た後も数多くの名演を見せ、1983年の『愛と追憶の日々』で助演男優賞を受賞、二度目のアカデミー賞を獲得した。この間、『ゴーイング・サウス』で監督として再び映画を製作する側に挑戦している他、『ミズーリ・ブレイク』でプライベートの友人であったマーロン・ブランドとの共演を果たしている(因みに2作品とも西部劇である)。また1980年の『シャイニング』(スタンリー・キューブリック監督)でのジャック・トランス役はアカデミーなどの賞レースには絡まなかったものの、現在でも彼を想起させる作品の一つに数えられている。1980年代には取り分け精力的に作品出演を続け、その内3作品でアカデミー賞候補に名を連ねた。1989年には『バットマン』(ティム・バートン監督)で二代目のジョーカー役として出演した。『怪鳥バットマン』のシーザー・ロメロ以来の映像化となったジョーカーを享楽的な愉快犯として演じ、当時はミスキャストと言われた主演のマイケル・キートンと共に新たなバットマンシリーズのヒットに貢献した。低予算であった事から出演料は「興行収入に応じて支払う」という契約が結ばれたが、その興行収入が4億ドルを超える映画の大ヒットにより、結果的に6000万ドル(9000万ドルという計算もある)とも言われる巨額の報酬が支払われる事になった。彼とシーザー・ロメロ、そして2008年の『ダークナイト』でジョーカーを演じたヒース・レジャーらと合わせて「三人のジョーカー」と呼ばれる。1990年代に入ってからもアカデミー賞候補の常連組であり続けた。軍事法廷を舞台にした『ア・フュー・グッドメン』では傲岸不遜な軍高官・ジェセップ大佐役を演じ、8回目のアカデミー・ノミネートを受けた。作中で追い詰められたジェセップ大佐がトム・クルーズ扮するダニエル中尉の「I want the truth!(私は真実を知りたい)」との言葉に「You can't handle the truth!(貴様に真実など分かるか!)」と激昂する名シーンは多くの作品でオマージュされている。1996年製作の『マーズ・アタック!』では『バットマン』で知り合ったティム・バートンと再び関わった。1997年、『恋愛小説家』で潔癖症の小説家を演じ、自身三度目となるアカデミー賞を受賞した。これはアカデミー助演男優賞を三度受賞したウォルター・ブレナンに次いで史上二人目の快挙となった。2001年、第23回モスクワ国際映画祭で創設されたスタニスラフスキー賞(演劇理論スタニスラフスキー・システムで知られる)に、「演劇における秀逸な演技力」を選考理由に初代受賞者として選ばれた。2002年の『アバウト・シュミット』では今までの恐怖や狂気を体現したイメージを覆す穏やかな老人を演じ、円熟味を増した演技力でアカデミー賞ノミネートを受けている。続くダイアン・キートンと共演した『恋愛適齢期』(2003年)でも老いらくの恋に悩むプレイボーイを、『N.Y.式ハッピー・セラピー』(2004年)では陽気なセラピストをそれぞれ演じた。2007年には『最高の人生の見つけ方』で末期ガン患者を演じるにあたって入念な役作りに情熱を注ぎ、モーガン・フリーマンとのハートフルな物語で高い評価を受けた。一方でシリアスな演技も健在であり、2006年のアカデミー作品賞を受賞した『ディパーテッド』で冷酷な裏社会のボスを演じ、ゴールデングローブ賞助演男優賞ノミネートを受けた。2008年、カルフォルニア州知事で同じ映画俳優のアーノルド・シュワルツェネッガーは彼を自らが創設したカリフォルニア殿堂博物館の表彰人物に加えると発表した。2010年、旧友であるジェームズ・L・ブルックスの要請を受けてビル・マーレイの代役として『幸せの始まりは』に出演したが、この映画を最後にニコルソンは映画への出演を休止し、事実上の休業状態に入った。ハリウッドの生き字引として70歳を超える高齢になっている事から、休業が長期化するについて健康面の不調を推測する記事が報道された。その中で「記憶障害により台詞を覚える事が困難になった」とする記事が掲載され、北米のメディアが大混乱になる事態が発生した。これまでの出演作品の解説や名台詞名シーン集が次々と特集される事態に対し、ニコルソン本人が沈黙を破る形でインタビューに答え、健康面での不調を否定した。同時に映画界隈に対して「もう情熱がないんだ」ともコメントし、正式に役者業からの引退を声明した。一方でニコルソンを尊敬している事を公言している俳優のロバート・ダウニー・Jrが引退を撤回させるべく、ガイ・リッチー監督と共に『シャーロック・ホームズ』の続編出演にオファーを出していると報道された。2017年2月7日、ドイツ映画『ありがとう、トニ・エルドマン』のリメイク版に出演する予定であるとの報道があった。















68a98022762671b82d5acc6ab3fb6ff5.jpg

















STAR







Guide
  •  …この記事と同じカテゴリの前後記事へのページナビ
  • nbsp;…この記事の前後に投稿された記事へのページナビ
 

~ Comment ~

  ※コメントの編集用
  シークレットコメントにする (管理者のみ表示)

~ Trackback ~

卜ラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

MENU anime_down3.gif