永遠の夢に向かってアイデンティティ・クライシス

 

アイデンティティ・クライシス

アイデンティティ・クライシス















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パトリオット デイ 公式サイト


















































アイデンティティ・クライシス

アイデンティティとは、『自分は、何者であるのか?』という人間の原初的で根源的な問いかけの答えとしての『自己同一性』のことである。その自分の存在意義の確認にも関わってくる自問に対して毅然と、『私とは、○○であり、自分は、今ここにある自分以外の何者でもない』と応えられる状況を『自己アイデンティティの確立』という。『自分は自分である』という明瞭な自己同一性を安定して保てていれば、将来に対する不安や人生に対する無気力、職業生活に対する混乱を感じる危険性が低くなる。自己アイデンティティは、通常、一人の孤独な状態では確立することが出来ず、他者との相互作用や社会的な活動による属性(職業・地位・評価)の影響を強く受けて段階的に確立されてくることが多いものである。社会的行動や社会的属性(国家・民族・地位)によって自己の存在意義や役割行動を強く自覚する形のアイデンティティを、社会的アイデンティティと呼ぶこともある。精神分析学者で、心理社会的発達理論を提唱したエリクソン(E.H.Erikson)は、アイデンティティ確立を『青年期の発達課題』とした。また、アイデンティティ確立という困難な発達課題に立ち向かう青年期には、アイデンティティの拡散や混乱といった精神的危機に陥る危険性も高いとした。アイデンティティには、国家・民族・言語・帰属集団・職業・地位・家族・役割などの社会的な属性への帰属・関係によって自己認識する『社会的アイデンティティ』と実存的な存在形式(私は私以外の何者でもなく唯一無二の存在であるという実存性)によって自己認識する『実存的アイデンティティ』に大きく分けられる。エリクソンによると、アイデンティティは、明瞭な自己意識が、過去から現在までの時間的連続性に支えられ、幼少期からの自分と現在の自分が同一の自己であるという記憶の一貫性に支えられているという。これを『自己の一貫性』といい、自分は他の誰でもなく自分として生きる他はないとする『自己の独自性(唯一性)』と共にアイデンティティを構成している。アイデンティティとは、存在意義を求めてやまない人間精神固有の特性の現れであり、青年期を越えてもなお私たちは絶えず『自分は一体何者であるのか』の問いに対する答えを、様々な場面や人間関係を通して模索していくことになるだろう。


ボストンマラソン爆弾テロ事件

2013日4月15日に起きたボストン・マラソン爆弾テロ事件。容疑者とされているのは、チェチェン系のタメルラン・ツァルナエフ(26歳)とジョハル・ツァルナエフ(19歳)兄弟である。警察との間で銃撃戦で兄は死亡し、弟は重傷の身で拘束された。兄弟がチェチェン系であったこともまた、大きな衝撃をもたらした。チェチェン人の多くはイスラムを信仰しており、イスラム過激派やアルカイダによる組織的テロであるのではないかという議論も沸き起こった。しかし、結論から言えば、今回の事件はツァルナエフ兄弟による単独犯行だと断定された。


複雑な生い立ちとアイデンティティ・クライシス

ツァルナエフ兄弟の生い立ちは大変複雑であり、家族は激動の歴史によって人生を翻弄されてきた。アメリカやロシアの各種報道をまとめると次のようになる。第2次世界大戦中の1944年、当時、ソ連の指導者だったスターリンは、「敵性民族」として、チェチェン人を含む多くの民族に対して大規模かつ残忍な強制移住政策をとったが、それにより、ツァルナエフ兄弟の祖父母はチェチェンを追われ、キルギスタン(現・キルギス)に移住させられ、兄弟の父・アンゾル氏はそこで生まれた。だが、1980年代後半のペレストロイカや1991年のソ連崩壊を機に、強制移住を強いられた諸民族の帰還の波が起こり、アンゾル氏もコーカサス地域に移住した。そこで父は母のズベイダット氏と結婚、ロシア南部のカルムイキア共和国で兄のタメルラン容疑者が誕生した(兄はロシアの市民権を持っていた)。その後、一家はチェチェンやその隣国のダゲスタン共和国で生活をしていたが、第1次チェチェン紛争(1994-96年)の混乱が及ぶと、一家は再びキルギスに戻ったという。そこで、弟のジョハル容疑者が生まれた(弟はキルギスの市民権を持っていた)。一家は2001年に母の出身地であるダゲスタン共和国に移住するも、1999年からの第2次チェチェン紛争が再び深刻化し、2002年に家族で難民として渡米することになった(兄は2004年から)。その後、両親はダゲスタンに帰国したが、兄弟はそれぞれ合法的に米国永住権を取得していた。このように難民として海外に生活拠点を求めるチェチェン人は少なくないが、その多くは、欧州諸国に渡るといわれており、ジェームスタウン・ファウンデーションによれば、米国に渡ったチェチェン難民は200人未満であり、そのほとんどはボストン周辺に住んでいるという(兄弟の叔父は米国・メリーランド州在住)。このように、ツァルナエフ兄弟とその家族はチェチェン人でありながら、各地を転々として生きてきた。また、米国にはチェチェン人が少なく、チェチェンコミュニティのようなものもないため、兄弟がアイデンティティ・クライシスに陥り、その心の隙間を埋めたのがイスラムだったのではないかと指摘する専門家が多い。


ツァルナエフ兄弟の肖像

実際、兄は「アメリカの友人は一人もいない。彼らのことは理解できない」と知人に話したり、SNSに書き込んだりしていたようだ。しかし、彼らを知る者たちは、彼らは普通のアメリカ人に見えたと言うし、移民としては大変上手く適合できたケースだと考えられていた。何故なら兄のタメルラン容疑者は、アメリカでボクシングに打ち込み、2004年には地元のアマチュア大会で優勝し、将来は米国代表としてオリンピックに出場する夢を持っていた。だが、技師を目指してボストンのバンカーヒル・コミュニティカレッジに通ったものの中退し、09年には暴力行為で逮捕されるなど歯車が狂い始めた。実は、この頃から、イスラムへの傾倒が強まっていたと思われる。その背景には、母親が、息子が米国で麻薬、女遊び、飲酒などの悪習に染まることを危惧し、イスラムの信仰を強めることを働きかけたことが背景にあるとも報じられている。それにより、兄は飲酒や喫煙はもちろん、生き甲斐だったはずのボクシングもイスラムの教えに反するとしてやめたという。また、親族はタメルラン容疑者が2008~09年頃にモスクで知り合ったとみられる年上のアルメニア系の友人「ミーシャ」に「洗脳された」とも主張する。ミーシャは深夜まで熱弁をふるってイスラムについて語り、タメルラン容疑者にボクシングのみならず、作曲が好きで音楽学校を開く夢も語っていた音楽をもやめさせたという。そして、その頃、アメリカ人女性との間に子供ができ、結婚もしている。このアメリカ人女性は、キャサリン・ラッセルさん(24歳)で、医師の父と看護師の母を持ち、高校ではダンスチームと芸術部で活躍し、発展途上国の援助のためにボランティアを派遣する米国の団体ピース・コープでボランティア活動をする夢を持ち、サフォーク大学に進学した。だが、そこでタメルラン容疑者と出会い、歯車が狂ってしまったようだ。娘(ザハラちゃん。現在3歳)を妊娠したため、大学を中退する一方、タメルラン容疑者の影響で、イスラムに改宗し、名前も「カリマ」に改名、常にヒジャブを身にまとう生活を始めるようになった。彼女の周囲の人々は、彼女はタメルラン容疑者に会って、すっかり変わってしまったと大きな衝撃を受けていたようだ。なお、彼女は週に70-80時間働き、タメルラン容疑者が娘の育児を行っていたとのことで、テロ計画については全く知らなかったという。タメルラン容疑者は、イスラム戦士を崇拝し、チェチェン関連の動画に加え、昨年8月にはダゲスタン共和国の過激派リーダー(ロシア治安部隊が昨年12月に殺害)が覆面姿の過激派2人とともに映る映像を動画サイトに投稿していたという。また、毎週金曜日にモスクに行き、1日5回礼拝するようになり、昨年以降は、ボストン郊外のイスラム教礼拝所で、説教する指導者に「あなたは不信心者だ」と叫ぶなど、過激化が進んでいた。兄が米国社会で挫折し、家族しか支えがなくなってしまった一方、弟ジョハルは極めて上手く米国社会に溶け込み、また優秀だった。マット・デイモンら俊才を排出した名門公立高Cambridge Rindge and Latin Schoolを優秀な成績で卒業したが、レスリング部の部長として活躍もし、文武両道だった。高校時代は、冗談で周りを笑わすなど、とても快活な性格で、同級生は「頭が良いし、面白いし、優しかった。本当に人気があった」と語り、好意を寄せていた女生徒も多かった。2011年にはケンブリッジ市から2500ドルの奨学金も獲得し、マサチューセッツ州立大学ダートマス校に通っていた(テロ発生後も18日まで通学していたという)。2012年9月には兄より先に米市民権も得ていた。弟については、周囲の評価が極めて良く、友人達は、テロは兄の教唆によるものに違いないと口を揃えるが、他方で、「みんなに受け入れてもらおうと必死に努力しているように見え、同情を感じた」と述べる同級生もいた。完璧な英語を話し、普通のアメリカ人に見えながらも、自分の世界観はイスラムに基づいていると記したり、大学で海洋生物学を専攻していたにもかかわらず、歴史の教授に「チェチェンの歴史に関心がある」と話を聞きに行ったり、自らのSNSにイスラムへの信仰についても記載していたようだ。


両親は息子達を信じ……

ダゲスタンに住む両親も、息子達は本当に優しい子達で、テロなど起すはずがないと今も、事件を受け入れられずにいる。実際、両親との関係はとても緊密だったようで、銃撃戦の直前まで母親と電話をしていたようだ。タメルラン容疑者が「警察が撃ち始め、追跡してきた」「ママ、愛している」と話したあと、電話が切れ、銃撃戦で死亡した模様だ。両親は、息子が犯人として米連邦捜査局(FBI)にでっち上げられたのだと主張している。何故なら、実は、「イスラム過激派の信奉者の可能性がある」という情報を得たロシア政府の要請により、2011年にFBIはその過激派との関係につき、タメルラン容疑者について聴取をしていたが、「問題なし」という結果だったのだという。母親によれば、FBIから電話で聴取を受けただけでなく、ダゲスタンの両親の自宅にも捜査官が何度も訪問してきたという。母親は、タメルラン容疑者はFBIの監視下におかれ、行動パターンや交際関係、インターネット閲覧状況なども全てチェックされていたのだから、テロなどできるはずがないと主張しているのである。ともあれ、FBIがタメルラン容疑者をかつて捜査していたことは事実であり、今回のテロはFBIの失策であったという批判も多く出ている。加えて、FBIがタメルラン容疑者について「不審な点なし」と結論づけた後の2011年9月に、ロシアの情報機関から警戒を促され、翌10月に米中央情報局(CIA)の要請で、米政府の「国家テロ対策センター」が、タメルラン容疑者をTIDEと呼ばれる監視リストに登録していたこと、さらに、同容疑者がロシアを訪問し、米国に戻った際、監視リストが機能せず、当局が帰国を把握できていなかったことも明らかになった。FBIのみならず、米国政府の責任も問われそうだ。重体の身で逮捕されたジョハル容疑者は警察の取り調べに対し(喉の負傷が激しく、また自殺を試みたのか舌も負傷していて、話せないため筆談)、犯行は兄弟だけで行い、犯行の理由はアメリカのアフガニスタンとイラクでの戦争への反発であると自供している。彼らはインターネットなどを通じ、独自に過激派していったと見られる。そこで、今回の事件は「アメリカ国産」(“homegrown”)テロだと断定された。


チェチェン人への偏見と無知

チェチェンの過激派(チェチェンは、ロシアからの独立を目指す過激派および穏健派、そしてプーチンの傀儡とされるカディロフ政権をはじめとして、思想的・政策的多様性がかなり広く、チェチェンを一体として見るのは禁物である)は、これまで、2002年のモスクワ劇場占拠事件、2004年のベスラン学校占拠事件、2009年のモスクワ・サンクトペテルブルク間列車爆破テロが、2010年のモスクワ地下鉄爆破テロ、2011年1月のドモジェドヴォ空港爆破事件をはじめとする多くのロシアにおけるテロに関わってきた。そのため、テロを実行しているのは、チェチェン人のほんの一部に過ぎないのだが、残念ながら「チェチェン人=テロリスト」という先入観が広く共有されてしまっているのも事実だ。ともあれ、世界のチェチェンへの関心はにわかに高まった。他方で、チェチェンがいかに知られていないかも露呈された。何故なら、チェチェンとチェコ共和国(東欧)との混同が特にネットユーザーの間で多発し、チェコと米国が戦争になる、米国がチェコに何をした、などの過激な書き込みも多く見られたからである。これに対し、駐米チェコ大使がチェチェンとチェコを混同しないよう異例の声明を出したほどだ。ただし、このような事件には以前にも起きていた。2008年にロシア・グルジア間の戦争が起きたときも、ロシアとアメリカのジョージア州が戦争かという書き込みが多発していた(グルジアは英語でGeorgiaであるため)。これらのエピソードは世界が旧ソ連地域をいかに知らないかを明確に示しており、またそれが偏見を助長する背景にあるともいえるだろう。


アメリカ、チェチェン、そしてロシアの三角関係

ボストン・マラソン爆弾テロ事件に関し、一時は容疑者ツァルナエフ兄弟のルーツがチェチェンであるため、チェチェン過激派との関係が疑われた。特に、兄タメルラン容疑者は、2012年1月から約半年間、米国を離れてロシアに滞在していた。ロシアのパスポートの更新が目的で、両親が住むダゲスタン共和国のマハチカラに主に滞在し、隣接するチェチェン共和国にも父と共に二度訪れ、親族や友人らと会ったとされる。この半年に過激派との接触や訓練が会ったのではないかという疑念が強く持たれていたが、父親は実家にいた間は、遅くまで寝て、起きている間は礼拝か家の修繕の手伝いをしており、過激派との接触はありえないと主張している。また、チェチェン過激派である「コーカサス首長国」側は自分達の「敵」はロシアであり、アメリカを攻撃することはないと、同事件との関係を否定している。チェチェン穏健派の亡命政権のザカーエフ首相もアメリカを憎むことはあり得ないと主張している。さらに、カディロフ・チェチェン大統領(プーチン派)は、「アメリカがテロリストを作った」と、主張し、当然ながら関係を否定している。


ロシアの反応「無関係」から一変

チェチェン擁するロシアの反応はどうだったのだろうか。クレムリン系インターネット企画の責任者であるポトゥプチク氏がテロ当日に、「私は米国人に何の同情も感じない。自業自得だ」とツイッターで書き込んだり、ネットユーザーがこぞって「米中央情報局(CIA)」の自作自演だ」と書き込むなど、ロシアには無関係という空気が漂っていたが、チェチェン人の犯行だと分かるや、ロシア人の反応は一変した。CIAの自作自演と書き込んでいた者達も、兄弟がCIAにゾンビにされたなどと言い始めたり、「米政府は、ビザなし旅行の交渉を打ち切り、ロシアのイメージを損なうためにアルカイダやチェチェンを利用した」、「ボストンのテロは、ソチ五輪に反対する勢力が命じたものだ」という説まで書き込まれた始末だ。他方、ソチ五輪の警備体制には変更はないという声明も出された。何故なら、そもそも最高レベルの警備が予定されていただけでなく、ソチと騒乱が多い他の北コーカサス地方との交通を分断する形での準備計画を進めており、万全の体制なのだという。


テロ事件の副産物、米ロ関係の好転

一方、国際レベルでは、今回の事件が米ロ関係の緊密化につながりそうだ。事件の犯人像が割れるや、ロシアのプーチン大統領は自らオバマ米大統領に電話し捜査への協力を約束した。プーチン政権は反体制派への弾圧で欧米から批判を受けてきたが、2001年の米国同時多発テロ後の「蜜月期」のように、「テロとの戦い」での米露協調をアピールし、批判をそらしたいと考えているようだ。オバマ大統領はプーチン氏に謝意を表明し、両大統領は、米ロ間のテロ対策での協力強化を約束した。そして、米国首脳陣が今回の事件を受けて、チェチェンを弾圧してきたプーチン氏の気持ちが理解出来たなどと語っており、米国政界に親露的ムードが漂ってきている。実は、最近、米ロ関係は緊張していた。ミサイル防衛計画を巡る対立に加え、「マグニツキー法」を巡る「リスト冷戦」とも言われる対立があったのだ。「マグニツキー法」とは、2009年にロシア政府の腐敗を追及し続けていたセルゲイ・マグニツキーという弁護士が逮捕されて2009年に獄死した事件に対し、米国は人権侵害を重く見て、その死に関わった者に対し、米国での資産凍結、米国への入国禁止などの「制裁」を行う法律を作ったのである。これに対し、ロシアはアメリカ人に養子にもらわれた子供の死を理由に「米国民によるロシア人との養子縁組」の禁止という措置で対抗していた。また、米政府が4月12日にマグニツキー法により制裁を受ける18人を発表するや、ロシアも13日に「人権侵害に関与した」として、アディントン元副大統領首席補佐官ら米国人18人(米国の制裁対象人数と同数であることがポイント)のロシア入国を禁止すると発表していた(ただし、米国側のリストに、本来、含まれるべきチェチェン大統領のカディロフが含まれていなかったことから、実は本リストの公開に際し、米ロ間の密約のようなものがあったのではないかという疑念も持たれている)。だが、最近、米国がミサイル防衛計画の一部を凍結したこともあるが、テロ事件でロシアが協力を申し出たことで両国の協力ムードが高まっている。そのため、23日には北大西洋条約機構(NATO)とロシアの対話も「改善」に向かったのだという。自国のテロを防げなかったオバマ氏と自国民が他国でテロを起してしまったプーチン氏が、お互いの傷をなめあったようにも見えるが、テロ対策で国際協力が深まることは喜ぶべきことであろう。















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