永遠の夢に向かって1977年5月16日

 

1977年5月16日

1977年5月16日















IMG8193_convert_20170516101253.jpg
















Apple










































今から40年前の今日、1977年5月16日(月曜日)、アメリカのアップルコンピュータ(現アップル)がパーソナルコンピュータ「Apple2」を発売した。アップルはその前年の1976年4月にスティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックによって設立され、この年1月には株式会社に改組していた。前年に発売された「Apple1」がモニターもキーボードもケースもないボード・コンピュータだったのに対し、Apple2は一般ユーザー向けの製品として開発され、キーボードや電源などがひとつのパッケージになっていた。Apple2の回路基板とそれを動かすソフトウェアは、エンジニアであるウォズニアックが開発したすぐれたものであったが、それをパッケージにまとめあげたのはジョブズである。ジョブズはまたApple2を会社の主力製品に据え、経営を展開していく。「ウォズはたしかにすばらしいマシンを作ったが、スティーブ・ジョブズがいなければ、そのマシンはマニア向けの店でほそぼそと売られるだけだったろう」とは、アップルの広告担当者レジス・マッケンナの後年の言だ(ウォルター・アイザックソン『スティーブ・ジョブズ1』井口耕二訳、講談社)。事実、Apple2は発売後16年間、さまざまなモデルが総計600万台も販売され、アップルばかりでなくパソコン産業の基礎を築くことになる。ちなみに、アートディレクターのロブ・ヤノフがマッケンナの命を受けて、一口かじったリンゴをかたどったアップルのロゴマークを生み出したのは、Apple2のパンフレットの作成に際してだった。

1974年、大学を中退しアタリの技師をしていたスティーブ・ジョブズとヒューレット・パッカードに勤務していたスティーブ・ウォズニアックは、2人は、地元のコンピュータマニアの集まりであったホームブリュー・コンピュータ・クラブ(「自家醸造」コンピュータ・クラブ)に参加するようになった。1975年にインテルが8080をリリースすると、Altair(アルテア)8080というコンピュータ・キットが早速発売されるようになり人気を博した。ウォズは8080より6800の流れを汲むモステクノロジーの6502の方が安く、しかも簡易な回路のコンピュータができると確信し、1975年10月から半年間かけて設計、1976年3月に最初のプロト機を完成させた。ホームブリュー・コンピュータ・クラブでデモを行った。ジョブズは自分達で売る事を考えていたが、ウォズはヒューレット・パッカードの社員であるが故に「開発した製品を見せなければならない」と上司にこの機械を見せるが製造販売を断られ、自分達で売り出すこととなった。ジョブズは、マウンテンビューにあったコンピュータショップのバイトショップのオーナーであったポール・テレルに基板(メインロジックボード)を見せた。テレルは非常に強い興味を持ち、30日以内に50台を納品できたら、現金で代金を支払うと提案する。ジョブズは愛車のワーゲンバスを1500ドルで売り、ウォズはヒューレット・パッカードのプログラム電卓を250ドルで売り払い、100台分の部品を集めた。さらにアタリで製図工をしていたロン・ウェインも株式10%分の権利を持つことを条件として参加した。彼はApple Iのマニュアルなどを作成する仕事に従事した。彼らは本格的に基板、マニュアルの製作にあたった。また、彼らの会社の名前はAppleとなった。この名前の由来には諸説があって、代表的なものだけでも、ジョブズがビートルズを尊敬していた(ビートルズのレコード会社名がApple)から。同じくジョブズがフルーツダイエットをしていた時期があって、そのころリンゴだけ食べればシャワーを浴びる必要が無いと考えていたことから。リンゴは知恵の実で良いイメージ。アタリ (ATARI) よりも電話帳で前に掲載してほしかったから(2文字目のPがABC順でTより前)。現在のコンピュータの概念を初めて提唱したアラン・チューリングが青酸カリ入りリンゴで自殺したから。など多くの仮説・俗説があるが、アップルは公式な説明をしていない。一方、ウォルター・アイザックソンが著述したジョブスの公式自伝『スティーブ・ジョブズ』では、ジョブス自身の言葉として、「果食主義を実践していたこと、名前を決める打ち合わせの直前にリンゴ農園の剪定作業から帰ってきたところだったこと、元気が良くて楽しそうな名前であること、怖い感じがしないこと、コンピュータの語感が少し柔らかくなること、電話帳でアタリより先に来ること」が理由であったと述べている[8]。また最初に会社のロゴをデザインしたのはロンだという。1976年6月に、バイトショップにApple Iを50台納品。666.66ドルの価格がついたが、あまり売れ行きが良くなかった。失望したロンは10%の配当権を放棄する代わり、800ドルを受け取って会社を去る。しかし8月を過ぎると売上は好転し、ジョブズとウォズは昼夜時間を惜しんでApple Iを製造した。ロンはその後別な会社に勤めるなどし、2010年現在はネバダ州で年金生活を送っている。放棄した10%の権利を2010年まで保有していれば、200億ドル以上の資産を得ていたはずだが、辞めたことに関しては後悔していないという。














AppleIApplApplAppl.jpg
















STAR


Guide
  •  …この記事と同じカテゴリの前後記事へのページナビ
  • nbsp;…この記事の前後に投稿された記事へのページナビ
         
コンカッション  ←コンカッション 【2017年05月】の更新記事一覧 →SEIKO  SEIKO
 

~ Comment ~

  ※コメントの編集用
  シークレットコメントにする (管理者のみ表示)

~ Trackback ~

卜ラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

MENU anime_down3.gif