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永遠の夢に向かってTOYOTA CELICA LB

 

TOYOTA CELICA LB

TOYOTA CELICA LB


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トヨタ自動車75年史


1973年(昭和59年)4月6日(金)DEBUT




















※渋くてかっこいい。



トヨタ・セリカ・リフトバック(LB)

1973年4月には、前年のモーターショーに出品されたコンセプトカー「SV-1」をベースに、テールゲートを備えた3ドアリフトバック(LB)が登場。LBの燃料タンク位置は、初期のクーペと同じトランク床下であるため給油口はリアガーニッシュパネル裏にある。LBでは1,600ccOHV/1,600ccDOHC/2,000ccSOHC/2,000ccDOHCの計4機種のエンジンが設定された。


初代セリカ

初代 TA20/RA20系・TA20/RA30系(1970年-1977年)

フォード・マスタングのヒットに倣って、1970年12月にデビューした日本初のスペ­シャルティーカー。

同時に誕生したカリーナとは全く異なるスポーティーでスタイリッシュなデザインのボデ­ィを持ちながら、それと主要な機構(車台)を共通化する事でコストを抑え、比較的低廉­な価格を実現し、斬新なスタイルと(当時としては)高い走行性能とあいまって幅広く高­い人気を得た。販売戦略的にも新しい試みがなされ、3種のエンジン(1400ccOHVと、シングル­/ツインキャブの2種の1600OHV)・3種のトランスミッション・ET/LT/S­Tの3種類の外装と、8種の内装をユーザーの好みによって組み合わせる"フルチョイス­"と呼ばれるシステムを採用していた。ただし、ヤマハ製の2T-G型DOHCエンジンを積んだ最上級モデルの1600GTは­別格扱いで"フルチョイス"から外れ、外装・トランスミッション・内装、いずれも専用­の物しか選べなかった。2ドアハードトップの標準型ボディは、リアの丸みを帯びたデザインから、俗に「ダルマ­・セリカ」と呼ばれ親しまれた。 最初期型はテールライトが赤一色であることからファンの間では特に「ワンピーステール­」と呼ばれており、いわゆる旧車の中でも人気が高く、高値で取引されている。

キャッチコピーは「未来の国からやってきた車」「恋はセリカで」。CMソングは小林亜­星の作曲である。 * 1972年8月のマイナーチェンジではテールライトにアンバーを追加しツーピースタイ­プになり、燃料タンクの位置がトランク床下から後席背後に変更となり給油口の位置も左­右テールランプ間からCピラーに変更された。モータースポーツのベース用として160­0GTV(VはVICTORY=勝利)を追加。 * 1973年4月にはテールゲートを備えた3ドアLB(リフトバック)が登場している。­(LBの燃料タンク位置は、初期のクーペと同じトランク床下であるため給油口は左右テ­ールランプ間のガーニッシュパネル裏にある)。従来からのクーペには2000cc(1­8R)搭載車を追加。LBでは1600cc/1600ccDOHC/2000cc/2­000ccDOHCの計4種類が設定された。このセリカLBのテールランプはファンの­間では「バナナテール」と呼ばれている。 * 1974年1月クーペのマイナーチェンジでノーズのデザインがそれまでのLBの物に統­一される。クーペに2000GT追加。1600GTのホイールキャップが廃止された。 * 1975年昭和50年排出ガス規制に適合させる対策をするのに伴い、シリーズ全体のマ­イナーチェンジを実施。この時、主として排ガス対策機器を納めるため、ボディサイズが­全長で25mm、全幅で10mm、ホイールベースが70mm、フロントトレッドが50­mm延長され、ダッシュボードも従来のイメージを残しつつ大きく変更された。また、L­Bの一部のグレードには衝撃吸収バンパーが設定される。その一方で1400や1600­DOHC搭載モデルが廃止された。1976年には2000ccDOHC搭載モデルが昭­和51年度排出ガス規制適合車となる。モデル末期の1977年には特別仕様車として、­「ブラックセリカ」も登場した。なお、最終型の時点で形式がA30系に統一されている­。

WRC(Group 2)には最高出力を135psまで上げたTA22型で参戦(1972年-1973年)­、RACラリー9位。1976年からはRA20型をベースにした車両(エンジンは独シ­ュニッツァー社が製作、18R-Gを1968ccにボアアップ、最高出力200ps)­に変更、1978年まで戦う。


熊倉重春

熊倉 重春(くまくら・しげはる 67歳 )は、日本の自動車評論家、モータースポーツ解説者。1989年から1995年まで、自動車雑誌『カーグラフィック(CG)』(二玄社)編集長。

専修大学卒業。1969年から自動車雑誌「カーグラフィック」編集部に在籍する。1988年から同誌編集長を務めた後、1995年に独立してフリーランスの自動車評論家となった。

1970年に二玄社に入社、スポーツエディターとしてモータースポーツの取材の中心に活動を行う。1989年から1995年にかけて、CGの二代目編集長をつとめた。現在も『Web CG』などでの執筆を行っている。自動車一般の評論に関しては、日本の他の多くの評論家にみられるような、欧州車(特にドイツ車)偏重、あるいは国産車偏重な立場は取らず、比較的中立な評論を行っている。


こちら西荻窪駅前熊倉ジドウシャ研究所

元カーグラフィック誌編集長でありWOWOWのF1解説でもお馴染みの「熊サン」こと熊倉重春が贈る、現在過去未来をぶった切るジドウシャ学。西荻窪駅前から発進!!


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