新宿ロフト

新宿ロフト

















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新宿ロフト






































新宿ロフトとは…

1976年10月にオープンした日本のライブハウスの先駆者的存在であり、今なおアマチュア・バンドの登竜門として名高い(1999年4月に現在の歌舞伎町へ移転)。ロック・ファンやプロ・デビューを志す者にとって絶対的なステイタスを持つライブハウスである。「新宿ロフト」のオープン前にも「烏山ロフト(からすやま)」(1971年3月)、「西荻窪ロフト」(1973年6月)、「荻窪ロフト」(1974年11月)、「下北沢ロフト」(1975年12月)がそれぞれオープンしていた(当時の店長に譲渡(じょうと)された「下北沢ロフト」以外は閉店)。


創始者が自ら書き綴った(つづった)ライブハウス「ロフト」の軌跡

平野 悠(ひらの ゆう)・著

ライブハウス「ロフト」青春記

ロフトの歴史、それはすなわち日本のロックの歴史である


まだ「ライブハウス」という言葉すらなかった時代。坂本龍一、山下達郎、浜田省吾、サザンオールスターズ、BOØWY、スピッツ……日本のロックのパイオニアを数多く輩出してきた音の「ゆりかご」=ロフト。その41年に及ぶ波乱の歴史の黎明期(れいめいき)を創始者・平野 悠(ひらの ゆう)が自ら書き綴った(つづった)『ライブハウス「ロフト」青春記』が先月下旬に講談社から刊行(かんこう)された。本誌の連載コラム『ロフト35年史戦記』(2005年3月号から2010年7月号まで掲載)を大幅に加筆した壮大なフォーク/ロック・クロニクルだ。烏山(からすやま・1971年3月)、西荻窪(1973年6月)、荻窪(1974年11月)、下北沢(1975年12月)、新宿(1976年10月)、自由ヶ丘(1980年6月)と、9年の間に6店舗のロフトを矢継ぎ早にオープンさせ、手探りのまま独自のコミュニケーション空間を構築していく様と知られざるミュージシャンたちの横顔は興趣(きょうしゅ)が尽きない。歌謡曲に対するカウンター・カルチャーとしてのロックが日本で市民権を得る過程において、ロフトが果たした役割とは一体何だったのか? また、既成(きせい)の音楽に飽き足らず、若い表現者たちが発する“五線譜(ごせんふ)に乗らない音”を一貫して支持し続けてきたロフトのスタンスとは? それらが躍動感溢れる筆致(ひっち)で描かれた『ライブハウス「ロフト」青春記』を読めば、ロフトの歩みが日本のロックの歴史と符合することを実感できるはずだ。「こうして自分の半生を書き綴って(つづって)みて思ったのは、何やかんや言って僕の人生はロフトと共にあったということでしょうね。10年近いブランクはあったにせよ、こうして41年間ロフトとともに過ごしてきたわけだから。この本の中で書いたことはロフトにとってまさに青春だったし、日本のロックにとっても青春に当たる時代だった。だから『ライブハウス「ロフト」青春記』というタイトルにしたんです。それと、僕の人生においてお客さんとのコミュニケーションが凄く大事だったんだなと改めて思いました。僕はずっとお客さんに育てられてきたし、お客さんこそが先生だったわけです。出演者やお客さんとの信頼関係を築きながらライブハウスという心地好い空間を作り上げて、自分の人生を切り開いていった。その紆余曲折(うよきょくせつ)の様をこの本の中で余すところなく書き綴った(つづった)つもりです」

(平野 悠・ひらの ゆう)



平野 悠(ひらの ゆう) Yu Hirano

1944年8月10日東京生まれ。大学中途にて学生運動をやめ、郵政省東京地方貯金局に潜り込み、新左翼労働運動に従事(じゅうじ)。ブント(共産主義者同盟)の歴史に残る革命的労働者組織「東貯行動委員会」を設立。ブント分裂の折、逃走。1968年、出版社芸文社に潜り込み、労働組合を作る。1年後指名解雇、指名解雇白紙撤回を勝ち取った後、脱サラ。1971年千歳烏山にてジャズ喫茶「烏山ロフト」、翌年中央線西荻窪にてライブハウス「西荻ロフト」、その後、荻窪、下北沢、新宿、自由が丘にロフトをオープン。1981年、日本を飛び出し、5年で84カ国を放浪。1987年ドミニカに日本料理店をオープン。1990年大阪花博のドミニカ政府代表代理、ドミニカ館館長に就任。1991年ドミニカ撤退。翌年ロフト復帰。1991年ライブハウス「下北沢シェルター」、1995年世界初のトークライブハウス「ロフトプラスワン」をオープン。著書に『旅人の唄を聞いてくれ!』(ロフトブックス/1999年12月刊)がある。2007年に社団法人音楽制作者連盟の「音楽主義AWARD」を受賞。現在はロフトプラスワン席亭、ロフトプロジェクト代表。


新宿ロフト

新宿ロフト(Shinjuku Loft)は、日本の東京都新宿区歌舞伎町1丁目12番9号のタテハナビルにあるライブハウス。株式会社ロフトプロジェクトにより運営されている。雑貨店のロフトとの関連はない。この項ではロフトプロジェクトの運営する各ライブハウスについても記述する。ロフトプロジェクト代表の平野悠は、1944年東京生まれ。大学時代に新左翼運動にはまり、大学中退後郵政省に入省、新左翼系労働運動に従事し、逮捕歴3回。1970年郵政省を辞め、1971年ジャズ喫茶「烏山ロフト」を開店後、ロック・フォーク系のライブハウスとして西荻窪、荻窪、下北沢、新宿にロフトをオープン、1980年にはロック居酒屋「自由ヶ丘ロフト」も開業したほかレコードレーベルなども立ち上げたが、1982年に新宿ロフトのみの経営となる。5年間で100か国を旅し、ドミニカ共和国で市民権を獲得し、1987年に日本レストランと貿易会社を設立、1990年の大阪花博ではドミニカ政府代表代理、ドミニカ館館長を務める。1991年に「下北シェルター」をオープンし、翌年ドミニカを撤退して帰国。1995年にトークライブハウス「ロフトプラスワン」をオープン。アメリカ人の日本研究者ヘンリイ・パイク・ブイの孫(次男の子)で、平野レミとはいとこになる。


1976年10月1日 西新宿で平野悠(ひらの ゆう)によって「新宿LOFT」オープン。

1992年 ビルのオーナーから立ち退きを命じられ、「新宿LOFT立ち退き裁判」になる。

1998年12月15日 ビルのオーナーと和解成立。

1999年3月17日 退去。4月1日、歌舞伎町新宿コマ劇場横に移転。

2006年 30周年を迎え、イベント「SHINJUKU LOFT 30th ANNIVERSARY -ROCK OF AGES 2006-」開催。

2016年10月 40周年を迎え、スペシャル・イベント「SHINJUKU LOFT 40TH ANNIVERSARY」開催。














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