MID4

MID4

















172202154486307658.jpg





















日産自動車株式会社



















































自動車大国の日本になぜポルシェやフェラーリのような世界に誇れるスーパーカーが生まれないのか?

自動車大国の日本になぜポルシェやフェラーリのような世界に誇れるスーパーカーが生まれないのか-。そんな疑問に答えようと日産は1984年、持てる技術を結集したコンセプトカーの開発を進めていた。プロジェクト担当は「スカイラインの父」といわれた、あの桜井真一郎。クルマの特徴はF1マシンが採用するエンジン配置「ミッドシップ」とラリー車の「フルタイム4WD」を組み合わせ、4WS(四輪操舵)も採用した新世代のスポーツカーだ。意気込む日産は「MID4」の名で翌1985年の東京モーターショーに出品。リトラクタブルヘッドライトを備えたシャープなデザインは「和製スーパーカー」としてたちまち大人気になる。日産は「あくまで運動性能を追究するための研究実験車」としていたが、直前の独フランクフルトショーで初披露された時から異例に高い完成度が話題となっていた。2年後の東京モーターショーには発展型の「MID4 II」を発表。ツインターボで330馬力に高められたV6エンジンは縦置きに変更され、前後の重量配分が大きく改善。サスペンションは当時の最先端だったマルチリンクを取り入れた。


幻の日産スーパーカー「MID4」 驚異の完成度…なぜ市販化されなかったのか?

筆者もショー会場で実車を見た。初代と比べ丸みを帯びたボディは、「フェラーリ・テスタロッサ」のように流麗。低くワイドなスタイルは高次元の走りを予感させた。関心の高さを示すようにギャラリーの数は他のコンセプトカーと比べ圧倒的に多かった。報道陣にも試乗の機会が与えられ、「本格スポーツカーとして完成度を高めた」と、べた褒め。市販化は秒読みと思われたが、高性能車の量産には巨額のコストがかかる。日産の試算では1台2000万円を超えたという。バブル期とはいえ、とても採算が合わない。さすがに「やっちゃえ日産」とはいかず、MID4はコンセプトカーのまま開発を終えた。培った最新技術はフェアレディZやスカイラインCT-Rにフィードバックされ、一定の“成果”を残したが…。市販化の夢が消えたMID4開発陣に1990年、ライバルのホンダがスーパーカーを発表したというニュースが伝わる。ミッドシップレイアウトにV6エンジン、オールアルミのボディを採用して価格は800万円。ホンダイズムを結集した「NSX」は大人気となり、去年(2016年)8月には2代目が登場した。日本の自動車史に歴史を刻み、今も進化を続けるNSXとは対照的に、MID4は日産工場跡の保管庫でひっそりと余生を送っている。


MID4

全長4150×全幅1770×全高1200ミリ 
フルタイム4WDミッドシップ
3.0リットルV型6気筒DOHC 230馬力


MID4 II

全長4300×全幅1860×全高1200ミリ 
フルタイム4WDミッドシップ
3.0リットルV型6気筒DOHCインタークーラーツインターボ 330馬力


MID4(ミッドフォー)は、日産自動車が1985年9月に開催されたフランクフルトモーターショーで発表したスポーツカー・プロトタイプである。元々は1980年代後半から1990年代を見据えた車両開発のための高速実験車としての役割と、当時日産が主にサファリラリーを中心に参戦していたWRCで導入される予定だった新カテゴリ「グループS」への参戦を念頭に開発されたプロトタイプ車。リトラクタブル・ヘッドライトを採用した2シーターの車体に、従来のVGエンジンをDOHC化した新開発エンジンである、排気量3,000ccのVG30DE型V型6気筒DOHCエンジン(230PS/28.5kgm)をミッドシップに横置き搭載し、4WD(四輪駆動)と4WS(四輪操舵)の組合せを特徴とした。なお、この車両のインテリアは、S13シルビアの開発の際に次点となった案を採用している。1987年の第27回東京モーターショーでは発展型のMID4-IIが発表された。スタイルはいつ市販されてもおかしくないほどに洗練されたものとなり、インテリアデザインにおいてはその後に発売されるS13シルビアやZ32フェアレディZへと繋がるデザインモチーフともなった。サスペンションもI型では前後マクファーソンストラット式であったが、II型ではフロントがダブルウィッシュボーン式、リアがマルチリンク式に変更された。またエンジンも縦置きに搭載し直してインタークーラーツインターボ化(VG30DETT型)され、最高出力/最大トルクはそれぞれ330PS/39.0kgmにまで向上した。いずれの車種もプロトタイプとしては完成度が高く、市販への期待が高かったが、実現には至らなかった。当時日産自動車の開発部門マネージャーとしてヨーロッパ駐在しヴァイザッハにあるポルシェの研究所にも出入りしていた武井道男によれば、当時市販化に向けて3代目の試作車をどうするかを検討するにあたり、ポルシェ・959を発売したばかりのポルシェで相談するように日産自動車の副社長より指示があり、相談したところ「959のようなクルマは、採算を度外視して、ポルシェが持てる力を全部そこに集中して初めて出来るようなクルマなんだ。そのためには、それこそが我らの仕事だと発想できるような組織が必要だ。組織というのは、つまり人間だよ。かじり付いてでも完成させるんだ!我らの技術の粋を見せてやるんだ!!っていう気概を持って仕事に取り組んでいる人間で構成されている組織かどうかということだ。ポルシェはそうだ。日産は、どうなんだい?」と言われ、それを本社に伝えたところ、あっという間に中止の結論が出たという。しかし、このモデルで培われたテクノロジーはその後の市販車に展開され、高級車としての技術はインフィニティQ45やシーマなどに、スポーティーカーとしての技術はR32スカイラインGT-RやZ32フェアレディZなどに受け継がれた。例えばVG30DE型エンジンは1986年に日本初のV型6気筒DOHCの量販エンジンとして、それぞれ185PSと190PSにデチューンされてF31レパードとZ31フェアレディZに搭載された。VG30DETT型エンジンは280PSにデチューンの上でZ32フェアレディZに採用され、これは後の自主規制値にもなっている。4WDと4WSの組み合わせは後にアテーサE-TSとスーパーHICASの組合せでR32型スカイラインGT-Rへと昇華した。上述のとおり市販車に近いスタイリングをしていたことから人気が高く、コンセプトカーでは珍しくプラモデルやミニカーが多数発売されていた。

















48002db0d5.jpg
















STAR





Guide
  •  …この記事と同じカテゴリの前後記事へのページナビ
  • nbsp;…この記事の前後に投稿された記事へのページナビ
 

~ Comment ~

  ※コメントの編集用
  シークレットコメントにする (管理者のみ表示)

~ Trackback ~

卜ラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

MENU anime_down3.gif