永遠の夢に向かってライト・ヒア・ウェイティング

 

ライト・ヒア・ウェイティング

ライト・ヒア・ウェイティング















8xDbEF_convert_20170128161420.jpg





















Richard Marx - Right Here Waiting












































1989年、プリンスの『バットマン』を押しのけてチャート1位を獲得したのが、リチャード・マークス(Richard Marx)のセカンド・アルバム『リピート・オフェンダー(Repeat Offender)』だった。ファースト・アルバムからは4曲のヒット・シングルが生まれ、その勢いをそのまま受けて、本盤からもヒット・シングルが続くのは必定であったと言える。まずは、ファースト・シングルの「サティスファイド」が全米1位のヒットを記録した。続くセカンド・シングルの「ライト・ヒア・ウェイティング」は全米1位のみならず世界中で大ヒットし、イギリスでもシングル・チャートの2位まで駆け上がった(特にこのバラードは日本でもよく知られている上、後世のカバーも多い)。3枚目のシングル「アンジェリア」も全米2位となった。おまけに、その後にカットされた2枚のシングル(トゥー・レイト・トゥ・セイ・グッバイ」と「チルドレン・オブ・ザ・ナイト」)もそれぞれ12位と13位にチャートインした。ファースト・アルバムの出来もなかなかのものだったが、本セカンド作の方がさらに上を行っている。全体として大雑把に言ってしまえば、楽曲のクオリティはほぼ互角だが、音の作りで本盤はさらなる進化があった。特にロック色の強いナンバーでの音の“立ち方”がよくなり、いわゆる“エッジの利いたサウンド”度が高まっている。バラード系にも似たようなところがあり、より美しさを追求した音づくりが成功しているように思う。アルバム全体を通しても、リスナー受けしそうなロック・チューンと、バラード系に傾いた曲が絶妙に配置されている。1989年8月12日、Richard Marx(リチャード・マークス)の “Right Here Wating” が1位を獲得しています。(3週)リチャード・マークスが当時の恋人(後に結婚&離婚)にラブレターとして書いた曲で、最もポピュラーなラブソングと言われているピアノ・バラード。「ここで待っている」という受け身の歌詞になっているこの曲ですが、これはリチャードの恋人で女優のシンシア・ローズが南アフリカで映画の撮影をしていたため何か月も離れ離れになっているという状況で、会いに行こうにもビザがおりなかったというエピソードが背景になっているからのようです。当初はプライベートな内容ということもあり、リリースすら予定していなかった曲だそうですが、最初にバーブラ・ストライサンドにオファーしたものの断られたため自分の曲としてレコーディングしたそうです。ちなみに、バーブラは断った理由として『この曲大好き。メロディも素晴らしいけど、私がレコーディングするとしたら歌詞は書き直してもらうことになるわ…だって私は誰も待っていないから』と語っています。また、2013年に発表されたSpotify(スポティファイ:世界最大のストリーミングサービス)UKの調査結果によると、この曲がフォリナーの “I Want To Know What Love Is” を抑えて最もポピュラーなラブソングとなっています。ファースト・アルバムの記事(『リチャード・マークス』)と同じく、このセカンドに関しても幸せなエピソードを付け加えておきたい。リチャード・マークスが女優・シンガーのシンシア・ローズと結婚したことは以前の記事に書いた通りだが、それは1989年1月のことだった。その翌月にリチャードは上記ヒット曲5.「ライト・ヒア・ウェイティング」をレコーディングしているが、実はシンシア宛てのラヴ・レターにメロディをつけたものだとか。しかもそのラヴ・レターは、全世界的ヒットになったというわけで、何とも幸せなエピソードといったところではないだろうか。

リチャード・マークス(Richard Marx)は、アメリカのシンガーソングライター。ソロ・デビュー前。作曲家の父、ディック・マークスとその妻で歌手のルース・マークスの間に生まれる。19歳の頃、マークスのデモ・テープを聴いたライオネル・リッチーに認められて、ロサンゼルスに移住しアルバム『ライオネル・リッチー』(1982年)のレコーディングに参加した。その後、リッチーの紹介でケニー・ロジャースのバックアップ・シンガーとなり、さらにロジャースと共作も始め、2人が共作した「クレイジー」は、1984年にロジャースの歌唱で『ビルボード』カントリー・シングル・チャート1位を獲得した。デビュー・スターダムへ。1987年、アルバム『Richard Marx/リチャード・マークス』でデビュー。デビューシングルとなった「Don't Mean Nothing」がいきなり全米チャートの3位に入るヒットとなり、大きな注目を集める。その後、アルバムからシングルカットされた「Should've Known Better」「Endless Summer Nights」も立て続けにチャートインさせ、4枚目の「Hold On to the Nights」で遂に全米ナンバーワン(2週連続)を獲得した。これで完全にスターダムに乗り、セカンドアルバム『Repeat Offender』からは、「Satisfied(2週連続)」「Right Here Waiting(4週連続)」と前作を上回るビッグヒットを飛ばした。「Right Here Waiting」は、当時交際していた女優シンシア・ローズへのラブレターに曲をつけたもので[4]、自身最大のヒット曲となったことを契機にローズと結婚した(2014年に離婚)。 初来日公演は1988年2月で、日本武道館での公演も行った。転機は、デビュー以来、立て続けにヒットを飛ばしたマークスは、1991年に満を持してアルバム『Rush Street』を発売。第1弾シングル「Keep Coming Back」はあらゆるフォーマットのシングルレコードが準備されるほどだった。また勝ち馬に乗りたいアーティストがレコーディングや発売記念パーティに集合した。しかしながら、このアルバムは前2作のようなヒットに結びつくことなく、ヒットチャートからすべり落ちた。第2弾シングル「Hazard」の後、「Take This Heart」をシングルカットしたが、時既に遅かった。これ以降、1994年にシングル「Now and Forever」が全米7位になるヒットがあったものの、アルバムのセールスは振るわなかった。1990年代半ばよりプロデューサーとしての仕事に重きを置くようになり、自らの創作活動やコンサートツアーは減っている。近年では、アイドルグループのイン・シンクやバックストリート・ボーイズに曲を提供。1996年には日本のアーティストの楽曲を世界中の一流アーティストがカバーするトリビュートアルバムに参加。マークスが担当した「Heart of My Own」は英国版には収録されていないが、日本版の追加曲として収録されており、その縁で翌年に発表した「Every Day Of Your Life」はデュエット曲となっている。 2004年には、ルーサー・ヴァンドロスの「Dance With My Father」をヴァンドロスと共作し、グラミー賞最優秀楽曲賞を受賞した。2006年にはリンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンドのメンバーに名を連ねた。2014年のアルバム『Beautiful Goodbye』は全米39位、インディペンデント・アルバム・チャートで6位を記録し、20年ぶりの全米トップ40アルバムとなった。














STAR






Guide
  •  …この記事と同じカテゴリの前後記事へのページナビ
  • nbsp;…この記事の前後に投稿された記事へのページナビ
 

~ Comment ~

  ※コメントの編集用
  シークレットコメントにする (管理者のみ表示)

~ Trackback ~

卜ラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

MENU anime_down3.gif