永遠の夢に向かってグレン・マトロック

 

グレン・マトロック

グレン・マトロック
















「10代に口ずさんだ歌を、人は一生、口ずさむ」という。 10代〜20代前半でどっぷりとUKパンクにハマりまくっていたので、こうしておっさんになった今でも、当時聞いていた音楽に触れると心躍(こころおど)る。

















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THE SEX PISTOLS - NEVER MIND THE BOLLOCKS











































『オレはセックスピストルズだった』(音楽之友社刊)

初めてセックス・ピストルズに惹かれたのは、ティーンエイジャーの頃だった。「パンク」という言葉は知っているけど、ちゃんと音楽を聴いたことがないなと思い立って、近所のレコードショップでアルバム 『NEVER MIND THE BOLLOCKS(ネバー・マインド・ザ・ボロックス)』を買ったのがきっかけだった。「音を耳にして反応した」とか、そういうのではなくて、純粋に知識を仕入れようとしたわけだ。それが、予想外にハマってしまった。ジョニー・ロットンの自伝『STILL A PUNK』はそれこそ小口が手垢で変色するほど読み込んだのだが、当時からずっと読んでみたかったのが、初代ベーシストのグレン・マトロックが著(あらわ)した本書『オレはセックスピストルズだった』である。本書によると、ジョニー・ロットンとグレン・マトロックは、当初はちゃんと共同で曲作りに当たっていたようだ。それがどこかで歯車が噛み合わなくなって仲違(なかたが)いした。本書の中では、いくつか対立のエピソードが披露されているが、読んでいる限り、そのどれか一つが決定的に作用したとかではなく、基本的にウマが合わないだけなんじゃないかと思えてならない。バンド内の人間関係として、スティーヴ・ジョーンズとポール・クックは常にマルコム・マクラーレンと連帯し、ジョニー・ロットンはいつも取り巻き連中を連れていた。そんな中で、グレン・マトロック一人が微妙に孤立していったことが、脱退の遠因になっていった。ジョニー・ロットンとグレン・マトロック当人同士の相性が悪いのもさることながら、グレン・マトロックはジョニー・ロットンの取り巻き連中が大の苦手だったようである。ジョニー・ロットンの自伝と読み比べると、その辺は非常に興味深い。その後の活動などをみても、ジョニー・ロットンにはアーティスティックな才能があり、一方で、グレン・マトロックには職人気質なミュージシャンとしての才能がある。ピストルズは、その両方が存分に発揮されたからこそ、あれだけのヒットにつながったのだろう。きっと、普通なら共存し得ないはずのものが、そこには共存できていたのだ。それが素晴らしい作品を生み出す作用をもたらしたのだが、同時に強烈な軋轢も生まれてしまった。世間に大ヒットを飛ばすバンドというものは、得てしてそういう部分(仲が悪い)があるように思う。へぇ、と思ったのが、グレン・マトロックがバンドを抜けたことを後悔していると語ったことだ。自分が残っていれば、バンドはアメリカを席巻できてただろうとも。また、グレン・マトロックが本書で一番語りたいことは、どうやら「自分がいた頃のセックス・ピストルズは、ちゃんといい演奏ができていた」ということであるらしい。シドのイメージが強烈だからだが、ピストルズは「演奏が下手」であるという認識が世間一般に広まっているからだろう。……その辺りが、いかにも職人気質なグレンらしいところだ。ここで、本書とは直接関係ないが、1996年にセックス・ピストルズが再結成した際に、二人が残したコメントを紹介したい。グレン・マトロック「あらゆる要素が焦点を結び、絶好のタイミングだった。(中略)新曲に関してはこれからの成り行き次第だ。たぶんすばらしいものができるだろうし、新しいアイデアも各自たっぷりあるはず。以前のピストルズと同じぐらい時代の先端を感じてもらえると思うよ」。ジョニー・ロットン「セックス・ピストルズはちゃんと終わらなかった。何となく尻すぼみに、うやむやになっちまった。だから、つねにいつかは……って気持ちがあった。(中略)たとえ会場に客が一人もいなくても、俺は一向に構わない。はっきり言って、これをやるのは自分のためだからさ。バンドとして、互いにあばよってきちんと挨拶して別れたいだけなんだ」……もう、見事に噛み合っていない(笑)。その後、結局新曲は披露されず終いだった。今でも時々セックス・ピストルズとしての活動をしているが、いずれも、過去のレパートリーを演奏するだけにとどまっている。ただ、そこでしっかりとした良い演奏は披露している。現存している全盛期のセックス・ピストルズの映像は、シドが演奏しているものが多い。映像として、非常に衝撃的ではあるが、演奏としてはイマイチだ。そこで、本書を読みつつ、再結成時の良い演奏を聴きながら、グレン・マトロックという人がバンドに果たした役割について、今一度思いを馳せてみるというのは、なかなか良いものである。グレン・マトロックもきっと喜ぶに違いない。グレン・マトロック(Glen Matlock)は、イギリスのミュージシャン。セックス・ピストルズのオリジナルメンバー。シド・ヴィシャス加入以前、及び1996年の再結成以降のベーシストとして活動。高い作曲能力を持ち、「アナーキー・イン・ザ・U.K.」「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」「プリティ・ヴェイカント」などの代表曲を一人で作曲し、ピストルズのヒットナンバーに貢献した。影響を受けたベーシストに、ロニー・レイン、ジョン・エントウィッスル、トレバー・ホルダー(デヴィッド・ボウイ専属のベーシスト)、ニック・ロウ、ジョン・ポール・ジョーンズ(レッド・ツェッペリン)、ポール・マッカートニー、影響を受けたアーティストにはフェイセズ、デヴィッド・ボウイ、センセーショナル・アレックス・ハーヴェイ・バンド、クラフトワーク、カン、イギー・ポップ&ストゥージス、ニューヨーク・ドールズ、キャプテン・ビーフハート、トム・ウェイツ、ザ・フー、キンクス、ビートルズ、ABBAを挙げる。ピストルズの楽曲の半数以上を作曲し、ライブでも「ライアー」などでタイトにグルーヴするベースラインを弾いている。しかし他のメンバーと比べ演奏能力や向上心があり世間的常識もあったため、メンバー内で浮いた存在となってしまう。特にジョニー・ロットンとの仲は最悪となり、1977年の『勝手にしやがれ!!』のレコーディング前に脱退。バンド・マネージャーのマルコム・マクラーレンは、表向きにはプレスにマトロックの脱退理由を「ポール・マッカートニーのファンであることが判明したため」と説明した。「実際、バンドとしては、演奏ができるよりは出来ない方がよいのだ」と確信を持って語るマクラーレンの発言からして、唯一演奏能力の高いマトロックの脱退と、演奏能力ゼロのシド・ヴィシャスの加入は必然と言える。その後ミッジ・ユーロらと共にリッチ・キッズを結成、さらにイギー・ポップのバックミュージシャンとして参加するなどした。またピストルズにおける自分の後釜となったシド・ヴィシャスとは最後まで友好的な関係を続け、彼を支援するための期間限定バンド「ヴィシャス・ホワイト・キッズ」にもダムドのラット・スケイビーズらと参加・協力した。他にも多数のバンド・アーティストの作品・ライヴに参加している。クラッシュのジョー・ストラマーにミック・ジョーンズを初めて紹介したのもマトロックであり、マトロックのピストルズ脱退後、ジョーとミックはポール・シムノンの代わりにクラッシュに入れようと真剣に考えていたが、断わる。ザ・ジャムからも声がかかるが、スーツを着ることを嫌ったために断わる。一方、ピストルズはシド・ヴィシャス加入後、ロックンロール・サーカスを繰り返した後、アメリカツアーを最後に空中分解することとなる。後年、スティーヴ・ジョーンズが「グレンの脱退がなければピストルズもあんなに早くは解散しなかった」と語った通り、マトロックの脱退がピストルズにとって大きな損失であったことを示している。「勝手にしやがれ!!」に関しては「アナーキー・イン・ザ・U.K.」以外はレコーディングに参加していないが、2000年に行われたインタビューで本作を「ラジオで一曲だけ聴くと凄くいいと思う。でもアルバムを通して聴くと、ちょっと平板(へいばん・変化に乏しく単調なこと)というか。僕がいたら、もっとカラフルにできていた」と語っている。また「僕がとどまっていたとしても、せいぜいあと一枚のアルバムが作れたかどうか、って感じている」とも話している。1996年ピストルズ再結成時から、マトロックはベーシストとして復帰した。1989年出版の自叙伝『オレはセックス・ピストルズだった』で当時のピストルズの内幕を打ち明けた。2010年、既(すでに)に亡くなって久しいロニー・レインの後任としてフェイセズの再結成にベーシストとして参加。

















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