永遠の夢に向かってひとり、涙。

 

ひとり、涙。

ひとり、涙。

















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The Clash - Rock the Casbah 1982








































ジョー・ストラマーが「ロック・ザ・カスバ」に込めたメッセージ

クラッシュの「ロック・ザ・カスバ」はアメリカ進出後、彼らにとって最大のヒットとなったわけだが、この曲の成功に大きな役割を果たしたのが、始まったばかりのMTVである。1981年。テキサス州オースチンの撮影現場には、後にアーノルド・シュワルツェネッガーの『ラスト・スタンド』(2013年)に町長役で出演する若き日のティトス・メンチャカの姿があった。「あのビデオが撮影されたのは、MTVが始まる何ヶ月か前のことです。私は当時、演技を学ぶ学生でした。それまでも舞台に立った経験はあったのですが、カメラの前に立つということは、また別の獣に相対することでした」ティトスはシーク教徒の役を演じることになっていた。クラッシュの楽曲をプロモーションするための音楽ビデオを作るのだと説明されても、彼にその意味はよくわからなかった。だが、彼の風貌と6フィート3インチという長身は、その役にうってつけだったらしく、日給350ドル(日本円=約36400円)という数字はティトスには魅力的なものだった。このビデオをディレクションしたのは、映画監督になる前のドン・レッツである。1959年、ロンドンに生まれたドンは10代で<アクメ・アトラクションズ>というブティックを経営し始めた男だ。両親がジャマイカからの移民で、自身ボブ・マーリーの大ファンだった彼の店に置かれたジュークボックスからは1日中レゲエやダブが流れていた。この店にクラッシュをはじめとするミュージシャンたちが引き寄せられるのは、時間の問題だった。そんな縁から、クラッシュはドンに、ミュージック・ビデオのディレクション(監督・演出)を任せたのである。カスバ。それはアルジェの丘につくられたオスマン帝国の城砦だ。中東の一部では、ロック・ミュージックを聴くことが禁止されている、と耳にしたジョー・ストラマーが考え出したフレーズである。この曲には、アラブの言葉だけでなく、ユダヤ語、ウルドゥー語など、様々な文化の言葉が登場する。ジョーが言いたかったのはシンプルなメッセージである。みんな、ロックしろ!である。ドン・レッツはそんなジョーの思いを、アラブの民とユダヤの民が一緒に砂漠で踊る様子を描くことで表現してみせた。ところで、この曲を書いたのは、ジョー・ストラマーでもミック・ジョーンズでもない。ドラムスのトッパー・ヒードンだ。「ドラム・トラックを取り終えたと思ったら、次はピアノ、次はベースと彼は走り回ったのさ」と、ジョーはトッパーについて語っている。だが、残念ながら、オリジナルの歌詞はあまりに卑猥すぎた。そこでジョーが、クラッシュらしい歌詞を乗せ変えたのである。皮肉なことに、この直後、トッパーはドラック中毒が原因でバンドを去ることになる。そして、曲はアメリカで大ヒットする。アメリカで曲が大ヒットすることは、イギリスで成功するのとはまったくレベルが違っていた。同じ姿勢で曲を書き、演奏し続けることはもうできない。ジョーはそう感じ、バンドを解散させる道を選んだ。




それから5年・・・・・




アメリカ軍を中心とする多国籍軍がイラクを空爆することで、いわゆる湾岸戦争が始まった。アメリカ軍の爆弾に「ロック・ザ・カスバ」と記され、曲が空爆のテーマソングとして使われたことを知ったジョーは、ひとり、涙したという。














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「ロック・ザ・カスバ」(Rock the Casbah)は、ザ・クラッシュの1982年のアルバム『コンバット・ロック』の収録曲。後にシングル・カットされ、バンドで唯一全米シングルチャートのトップ10にランクイン、ビルボードでは最高位8位となった。一説では、ホメイニ政権下のイランでロックが禁止されていたことに影響を受けたという。「カスバを動かせ」の影響で人民が禁を無視し始めた。王は禁を冒す者を戦闘機で爆撃するよう命ずるが、パイロットは命令を拒否し、コックピットの無線機でロックを聴く。こういった状況を寓話作家が語る。曲中ではイランを含め、いかなるイスラーム教国の名も出していない。歌詞ではアラビア語、ヘブライ語、ウルドゥー語、北アフリカの用語が使われている。たとえば「シャリーフ」、「ベドウィン」、「シャイフ」、「カーシェール」、「ラーガ」、「ムアッジン」、「ミナレット」そして「カスバ」である。ベスト・アルバム『クラッシュ・オン・ブロードウェイ』の解説によると、この曲はバンドのマネージャー、バーニー・ローズが、バンドがアルバムに用意した過度に長い曲に対し、ふざけて「どの曲もこんな、ラーガ(長さと複雑さで有名なインドの音楽様式)のように長くなくちゃいけないのか?」とこぼしたことに端を発する。ストラマーは、後に「王はブギーマンに言った、『ラーガをやめろ』」という行を冒頭に付け加えた。残りの歌詞はすぐ後に続く。この曲は、ドラマーのトッパー・ヒードンが単なるパーカッション奏者を越え、作曲もこなした数少ない曲の1つである。イントロは彼が以前から温めていたピアノフレーズで始まり、曲になる以前、リハーサルの合間に遊びで録音されていたもの。2000年のドキュメンタリー映画『ウェストウェイ・トゥ・ザ・ワールド』で、彼がドラム、ベース、ピアノを演奏したことを明かしている。ヒードンは、単にバンドのために演奏していると思っていたものが、知らずに録音されていたと主張している。レコードのために必要なものはギターとボーカルのパートが残っているのみであった。クラッシュは、数曲で低予算のヴィデオを作ったが、その中で「ロック・ザ・カスバ」の物は特に印象的である。テキサス州オースティンで撮られたこのビデオには、バーニー・ローズ演じるアラブ人と Mark "Frothler" Helfont 演じるハシド派ユダヤ人がアルマジロに追いかけられながら車上で踊る。そして油井の前で演奏するクラッシュの映像が織り込まれる。ヴィデオのユーモラスな演出は曲調にあっており、アラブ人とユダヤ人のおどけた様子からは、イスラエルとアラブの良好な関係への願いがうかがえる。このビデオに登場するのは初期ドラマーのテリー・チャイムズ。ヒードンは曲の発売前に麻薬中毒でバンドを去っている。ヒードンは「自分の場所で自分の曲を他人が演っている」のを見るのが苦痛であると漏らした。そして、深い鬱状態と薬物依存の悪循環へと陥っていく。アメリカ盤シングルでは、アルバムのものと異なるミックスが行われている。シングル版ではベースの音がよりはっきりしている。そして3コーラス目の終りの「jive」はデジタル・ディレイ処理で数秒間持続する。このシングルヴァージョンがヴィデオで使われている。数度のシングルリリースの度に使われたカップリング曲「ムスタファ・ダンス」は、この曲のインストルメンタル・リミックスである。



政治的影響

この曲は湾岸戦争で米軍の非公式テーマソングとなった。これは曲中の「ミナレットを爆撃しろ」という行が影響を与えている。開戦時にAFNで最初に流された曲でもある。これはバンドの反戦的な立場に対して皮肉的なエピソードである。 ジャーナリストのヘスース・アリアスは「ストラマーは米軍が爆弾に "Rock the Casbah" と記していたというニュースを見て『まさか、俺の曲がアメリカ軍の死のシンボルになるなんて』と涙した。」と語った。2006年に、保守的な「ナショナル・レヴュー」が発表した「保守的ロック曲」50曲の20位に選ばれた。湾岸戦争中の頻繁なリクエストを受けてのことである。湾岸戦争時の人気にも関わらず、あるいはそのせいで「9.11以降クリア・チャンネルで不適切指定された楽曲リスト」の一曲に選出された。













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