永遠の夢に向かってシスコはロックシティ

 

シスコはロックシティ

シスコはロックシティ

















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Starship - We Built This City
































スターシップ(Starship)は、1985年に結成されたアメリカのロック・バンド。ジェファーソン・スターシップ(ジェファーソン・エアプレイン)がバンドとして存続していたにも関わらず、音楽的方向性の変化、核となっていたジェファーソン・スターシップのメンバーの離脱、そして名称の変更などが、最終的に新しいバンドを生むという結果に結びついたのである。1984年6月、ジェファーソン・エアプレイン結成時のメンバーで、残る唯一のメンバーだったポール・カントナーがジェファーソン・スターシップを去った。しかし、同時に「ジェファーソン・スターシップ」という名称の使用を巡って法的措置に訴え、バンド・メンバー達にこの名称の使用ついて申し立てをしたのである。そしてカントナーは法廷での和解に応じ、「ジェファーソン・エアプレイン・インクの全てのメンバー(ビル・トンプソン、ポール・カントナー、グレイス・スリック、ジョーマ・コーコネン、ジャック・キャサディ)が同意しない限り、誰も、『ジェファーソン』もしくは『エアプレイン』の名を使用しない」という裁定に署名したのだった。スターシップは、バンドの名前をごく短い間だが、「スターシップ・ジェファーソン」としていたことがある。しかしそれは法的決定が下される以前のことだった。結局、最終的にバンドの名前は「スターシップ」に縮められることに決まった。デイヴィッド・フライバーグはこの裁判沙汰の後もバンドに残り、『ニー・ディープ・イン・ザ・フープラ』の最初のセッションに参加している。しかし彼はこのセッションに満足することができなかった。というのも、キーボードのパートをフライバーグを差し置いて、すべてピーター・ウルフ(『ニュークリア・ファーニチャー』のセッションに参加後、『フォロー・アップ・ツアー』のツアーの短い期間だけバンドに加入)が演奏したため。結局フライバーグはバンドを辞め、残った5人によって『ニー・ディープ・イン・ザ・フープラ』が仕上げられることになった。1984年から1986年末までに行われたライブセッションでは、ガブリエル・カトーナが、サポートメンバーとしてキーボードとサックスを演奏した。『ニー・ディープ・イン・ザ・フープラ』は1985年10月に発売された。このアルバムからはNo.1ヒットが2曲生まれている。まず最初に、バーニー・トーピン、マーティン・ペイジ、デニス・ランバート、ピーター・ウルフらの作曲、グラミー賞受賞プロデューサーであるビル・ボトレルのエンジニアリング、そしてボトレルとジェイスン・マーツのアレンジによる「ウィ・ビルト・ジス・シティ(邦題「シスコはロック・シティ」)」である。もう一曲は、「セーラ」だった。このアルバムは全米最高7位まで上昇し、プラチナディスクとなった。そしてこのアルバムからはさらにもう2曲、シングル曲を発売している。「トゥモロー・ダズント・マター・トゥナイト」と「ビフォー・アイ・ゴー」である。それぞれ最高26位、68位につけている。バンドは、オリジナル・メンバーによるジェファーソン・スターシップが1975年に『レッド・オクトパス』を発売して以来、ここにきてようやくNo.1ヒットを出したのだった。1987年初頭、「愛は止まらない(ナッシングズ・ゴナ・ストップ・アス・ナウ)」が映画「マネキン」の主題歌となり、No.1ヒットとなる。しかし、ヴィデオには、グレイス・スリックとミッキー・トーマスの二人にギターのクレイグ・チャキーソを加えた三人だけが出演している。この当時、この曲がNo.1になったことで、グレイス・スリックは、「『ビルボードホット100』の第一位を獲得した曲を歌う歌手の中で最も年長の女性歌手」となった。スリックはこの時47歳だった(この記録はシェールが1999年に「ビリーヴ」を52歳で歌うまで破られなかった)。翌1988年には、「ワイルド・アゲン」(ビルボードのシングルチャートで73位まで上昇した)が映画「カクテル」で使用されている。スターシップの2枚目のアルバム『ノー・プロテクション』が発売されるまでに、ベースとキーボードを担当していたピート・シアーズが、音楽性の変化に不満を抱き、バンドを脱退。シアーズは脱退後、ジェファーソン・エアプレインの前バンドメンバーのジョーマ・コーコネン、ジャック・キャサディと共に、バンド「ホット・ツナ」で10年間キーボードを担当した。この『ノー・プロテクション』は、このアルバムの中で最も有名なシングル「愛は止まらない」がチャートで1位に輝いた後にやっと発売され、ゴールドディスクを獲得している。「愛は止まらない」に続いて「イッツ・ノット・オーヴァー」(最高第9位)、「ビート・パトロール」(最高第46位)が発売されている。アルバムの最後に収録された「今夜はミュージックナイト(Set the Night to Music)」は、1991年にロバータ・フラックのアルバム『ナイト・トゥ・ミュージック』においてフラックとマキシ・プリーストのデュオでカヴァーされ、全米6位の大ヒットとなる[2]。『ノー・プロテクション』のプロモーション・ツアーには、シアーズの後任としてブレット・ブルームフィールドが正式メンバーとして加わり、また、フライバーグ以来の正式メンバーであるキーボーディストとしてマーク・モーガンが加入した。1988年、グレイス・スリックが、再結成されたジェファーソン・エアプレインに加わるため、スターシップを脱退。再結成ジェファーソン・エアプレインは1989年にアルバム1枚を発表し、その後スリックは音楽業界から引退する。カントナー、シアーズ、フライバーグがジェファーソン・エアプレインを辞め、新たに入れ替わって残っていたメンバー達は皆、彼女より十歳以上若い人間ばかりだったのである。今日に至るまで、スリックは「年寄りはロックンロールの舞台に上がってはダメ」を守っている。ミッキー・トーマス一人をリード・ヴォーカルとして、刷新された顔ぶれでスターシップは1989年8月に『ラヴ・アマング・ザ・カニバルズ』を発売しツアーを行ったものの、以前のように高い評価を得ることはできなかった。1989年9月24日、ライヴのためにペンシルヴァニア州スクラントンに滞在していた際に、ドニー・ボールドウィンとミッキー・トーマスは激しい口論の末に、頭蓋および顔面の手術を余儀なくされるほどの重傷を負った。この手術の結果、トーマスの頭蓋骨には2枚のチタンプレートが埋め込まれた。ボールドウィンはこの事件の後即座にバンドを解雇された。ツアーの残りの日程は、トーマスが回復しライヴを行うことができるようになるまで延期された。













STAR




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