永遠の夢に向かってビーチボーイズ

 

ビーチボーイズ

ビーチボーイズ

















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Beach Boys












































ビーチボーイズは1961年のデビュー以来、30年以上ものあいだ現役で活躍しているロック界の最長寿バンドです。そして、彼らこそがウエストコースト・ロックの生みの親だと言っても決して過言ではないでしょう。ビーチボーイズは2つの面で、その後のウエストコースト・ロックに決定的な影響を与えました。ひとつは、自己を赤裸々に描くという姿勢の確立、もうひとつはヴォーカル・ハーモニーの重視です。兄弟と従兄弟を中心とするグループである彼らのヴォーカル・ハーモニーは本当に魅力的です。「大人から押し付けられた音楽ではなく、若者が若者自身の手で音楽を作り始めた」というと普通はビートルズを紹介する時に使われる表現ですが、アメリカでこれを最初に成し遂げたのは紛れもなくビーチボーイズです。ビーチボーイズが登場する以前のロサンゼルスにも、若者の娯楽であるサーフィンをしている時の感覚をギターを中心とした演奏で表現した「サーフ・ミュージック」という若者自身による音楽はありました。しかし、これはインスト(ヴォーカルのない音楽)であった為に、若者が本当に表現したいことを表現するには不十分だったのです。ビーチボーイズは、サーフ・ミュージックの演奏にフォー・フレッシュメン的なコーラスを乗せることで、音楽的にも表現の幅という面でも、その可能性を大いに広げたのです。とは言え、その活動の初期においては、彼らの音楽は「ヴォーカル付きのサーフ・ミュージック」に過ぎませんでした。ビーチボーイズのリーダーであり、初期の殆どの楽曲を書いているブライアン・ウィルソンはサーフィンはしない人なので、彼の音楽は当初は決して「彼の自己表現」ではありませんでした。ビーチボーイズの音楽が変化し始めるのは1964年頃からです。これにはイギリスからビートルズが登場したことの影響が大きかったようです。ヒットチャート上でビートルズを競争せざるを得なくなったブライアン・ウィルソンは、そのプレッシャーに負けて心の病に陥ってしまいます。そうして彼は、弱い自分と向き合わざるを得なくなり、そうした自分を素直に表明した作品を作り始めるのです。こうして彼らは徐々に内省的な音楽を志向するようになります。初期の「Lonely Sea」や「When I Grow Up」にもその萌芽はあったのですが、フィル・スペクターの影響を消化した1965年の『Today !』あたりからその傾向が強くなります。そして、1966年の『Pet Sounds』は、戸惑い・不安・喪失感といった、それまでロックが決して題材にして来なかった感情を、複雑なサウンドに乗せて見事に表現した名作となりました。この作品以降、ウエストコースト・ロックは、「決してスーパースターではないひとりの生身の人間の赤裸々な感情を描く」という手法を少しずつ確立していくのです。『Pet Sounds』の直後に発表されたシングル「Good Vibrations」は数十回にわたる断片的なレコーディングの音源をスタジオで張り合わせてひとつの楽曲にするというモジュラー・レコーディングという斬新な手法で作られた傑作であり、多くのミュージシャンに影響を与えました。そのレコーディング手法を更に押し進めるべく制作が着手されたのが『Smile』なのですが、ブライアン・ウィルソンの精神病の悪化により、その録音は途中で放棄されました。『Smile』の制作中止以降、ブライアン・ウィルソンが廃人同様の状態となり、残念ながらビーチボーイズは音楽シーンへの影響力を低下させていきますが、残ったメンバーを中心にして活動は継続されます。サンフランシスコのロックの台頭などの影響もあって、彼らの作品は殆ど売れなくなってしまいますが、ライヴ・バンドとしては高い人気を誇り続けました。また、1988年にブライアンが病気を克服して復活したことなどをきっかけにして、徐々に不遇時代のビーチボーイズの作品を見直そうという気運が高まり、今では彼らが売れなかった時期にも素晴らしい作品を作っていたことが広く認識されています。





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現在のメンバー

ブライアン・ウィルソン(1942年6月20日・ウィルソン兄弟・長男) - ボーカル、ベース、キーボード

マイク・ラヴ(1941年3月15日・ウィルソン兄弟の従兄(いとこ)母親がウィルソン兄弟の父親の妹) - ボーカル

アル・ジャーディン(1942年9月3日・高校時代、フットボール部でブライアン・ウィルソンに出会った。ブライアンと同じエル・カミーノ大に進学し、共にバンドを組む) - ボーカル、ギター、ベース

ブルース・ジョンストン(1942年6月27日 - ボーカル、キーボード、ベース)

デヴィッド・マークス (1948年8月22日 - 、ギター)


過去のメンバー

デニス・ウィルソン(1944年12月4日 - 1983年12月28日 - ボーカル、ドラムス、キーボード・ウィルソン兄弟・次男)1961-1983

カール・ウィルソン(1946年12月21日 - 1998年2月6日 - ギター、ボーカル、キーボード、ベース・ウィルソン兄弟・三男)1961-1998

ブロンディ・チャップリン (1951年7月7日、ギター、ベース)1971-1973 ※1997年以降はザ・ローリング・ストーンズのサポート・メン
バーとして、コーラス、パーカッション、アコースティック・ギターを担当

リッキー・ファター(1952年9月5日 - 、ドラムス、キーボード)1971-1974 ※後にビートルズのパロディバンド「ラトルズ」にスティグ・オハラ(ジョージ・ハリスン)役で参加

グレン・キャンベル (1936年4月22日 - 、ギター、ベース) 1964-1965 ※1964年末から1965年初頭にかけ、ツアーから離脱したブライアンの代わりに参加。元来ソロ歌手、スタジオ・ミュージシャンで、ビーチ・ボーイズのレコーディング・セッションに数多く参加してきた




『ラブ&マーシー 終わらないメロディー』劇場公開日 2015年8月1日。「ザ・ビーチ・ボーイズ」の中心メンバーとして数々の名曲を生み出す一方で、音楽制作の過程で精神的に極限まで追い詰められるといった逸話でも知られるブライアン・ウィルソン。彼の栄光と苦悩の半生をブライアン本人公認のもと映画化。1960年代「サーフィン・U.S.A.」をはじめとするヒット曲により人気の頂点にいたザ・ビーチ・ボーイズ。当時のリーダーでその作曲の大半を手がけていたブライアンは、新たなサウンドを模索するが、新作へのプレッシャーからアルコールとドラッグに依存してしまう。それから20余年、低迷の中にあったブライアンに再び希望の光をもたらしたのは、美しく聡明な女性メリンダとの出会いだった。監督は、アカデミー賞を受賞した「それでも夜は明ける」のプロデューサーで、本作が初監督となるビル・ポーラッド。2つの時代のブライアンが2人1役で演じられ、60年代はポール・ダノ、80年代はジョン・キューザックがそれぞれ演じている。

映画『ラブ&マーシー 終わらないメロディー』











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