永遠の夢に向かってゲットイットオン

 

ゲットイットオン

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The Power Station - Get It On (Bang A Gong)





































1980年代の洋楽を代表するスーパーグループ、デュラン・デュランのメンバー、ジョン・テイラー(ベース)とアンディ・テイラー(ギター)のふたりが立ち上げたサイド・プロジェクトで、ボーカルにロバート・パーマー、プロデュースにシックのバーナード・エドワーズを迎えて結成したパワー・ステーションがセルフタイトルを掲げたアルバム『THE POWER STATION』が1985年4月に発表されてから31年経とうとしている。このパワー・ステーションが驚きを持って迎えられたのは、デュラン・デュランの活動範囲から考えられない知る人ぞ知る“いぶし銀”なロバート・パーマーと黒人ファンクバンドのシックというメンバーの組み合わせにある。1981年デビューのジョン・テイラーにとって70年代から活動しているロバート・パーマーはアイドルであり、デビュー後からは知り合いともなった間柄。ジョン・テイラーはロバート・パーマ-に度々、後にアルバム『THE POWER STATION』の核となる曲で、T-REXの「GET IT ON」をデュラン・デュランのサウンドとは違うかたちでカバーしたいと話していた。ロバート・パーマーとシックの間はそれこそ関係はないものの、この頃は“シックのギタリスト”というよりも“売れっ子サウンド・プロデューサー”として名を馳せていたナイル・ロジャースはデュラン・デュランの幾つかの曲もプロデュースしている。つまり、デュラン・デュランのジョン・テイラーを中心にこの意外な組み合わせのメンバーが集まった。そして、デュラン・デュランの世界的人気がピークを指した1984年夏、いよいよ始動したのである。ただ、当初の構想はかなり違うものだった。ジョン・テイラーとアンディ・テイラーは固定しての、ロバート・パーマーひとりだけではなく、複数のボーカリストを招いたプロジェクトであったのだ。最初のセッションで、ロバート・パーマーのハマり具合にいたく感動したジョン・テイラーはそのまま彼に全曲のヴォーカルを依頼したというわけ。それから、最初にプロデュースを依頼したのは、デュラン・デュランの代表曲となる「THE REFLEX」シングルバージョンのリミックスと「THE WILD BOYS」のプロデュースを担当したことのある、前述したナイル・ロジャースであった。しかし、当時のナイル・ロジャースは超売れっ子。ボーカリストも定まっていないようなゼロからに近いプロジェクトには時間を割くことは適わず、代わりに同じシックのメンバーであるバーナード・エドワーズに廻ってくる。そして、メンバーの人選においてこれだけは当初の構想通りとなったシックのドラムであるトニー・トンプソンを入れてのスタートと相成った。パワー・ステーションのプロジェクトは、当初は8曲入りのアルバム『THE POWER STATION』を作り、そこから幾つかの曲をシングル・カットし、流行だったプロモーションビデオを作るまでが予定されていたことだった。あとは、1985年2月にアメリカの人気番組『サタデー・ナイト・ライブ』に、ジョン・テイラーとアンディ・テイラー、ロバート・パーマ-、トニー・トンプソンの四人(+サポートメンバー)がプロモーション出演して、「SOME LIKE IT HOT」と「GET IT ON(BANG A GONG)」をパフォーマンスするくらいであった。しかし、ジョン・テイラーとアンディ・テイラー以外のメンバーによるデュラン・デュランのサイド・プロジェクトで、アーケイディアのアルバム制作が遅延してしまい、この年もアルバム制作とワールド・ツアーのスケジュールを行う予定だったデュラン・デュランのスケジュールにぽっかり穴が空いてしまったことから、思わぬ流れとなっていく。これを機に、デュラン・デュランとは違う地平を見つけたジョン・テイラーとアンディ・テイラーによって、予定には含まれなかったライブツアーなどしばらくプロジェクトの続行をロバート・パーマーに願い出た。ところが、ジョン・テイラーとアンディ・テイラーらと同様にロバート・パーマーもパワー・ステーションのプロジェクトに感銘を受けていて、次作アルバム『RIPTIDE』のプロデュースもバーナード・エドワーズに依頼していたのだ。ナイル・ロジャースほどではないにしろ、バーナード・エドワーズも忙しい人物である。この好機は逃すまいとロバート・パーマーは自身のスケジュールを優先させ、パワー・ステーションのライブツアーには不参加(まあそれに、レコーディング中からスタジオ周辺で待つデュラン・デュランの熱狂的なグルーピーを目の当たりにしてきて、ライブ会場の客層がどんなかんじになるのか予測がついていたのもあっただろうし)。結局、パワー・ステーションはデュラン・デュランのライブに前座として共演したことがあったバンドにいたマイケル・デ・バレスを新ボーカリストに入れることにしてライブツアーが行われることになった(なお、見るからに付き合いが良さそうなドラムのトニー・トンプソンは引き続き参加)。ライブツアーは一番売れたアメリカのみで行われて、その途中で、80年代最大規模のチャリティー・ライブ「ライブ・エイド」にも出演。近年、その「ライブ・エイド」がDVDソフト化されていて、ジョン・テイラーとアンディ・テイラーが併行して出演したデュラン・デュランのほうは収録されたのに、残念ながらパワー・ステーションのほうはどういう理由なのか収録されていない。その「ライブエイド」ではパワー・ステーションが登場する際のオープニングMCに、当時アメリカで絶大な人気ドラマであった『MIAMI VICE』の主役、ドン・ジョンソンが担当して大いに会場を盛り上げた。マイケル・デ・バレス加入後のパワー・ステーションもまたその年にアメリカで放送された『MIAMI VICE』第2シーズンの「WHATEVER WORKS」(日本での放送時サブタイトル「謎の教団・血の復讐!警官連続殺人事件」)にライブスポットのシーンで本人達役でカメオ出演。劇中でジョン・テイラーが旧知の設定というドン・ジョンソン演じるソニー・クロケット刑事にマイケル・デ・バレスを「新しいシンガーだ」と紹介して印象付けている。パワー・ステーションのミーハー!?ぶりはその後も続き、1985年10月にアメリカで公開(日本では翌年2月公開)されたアーノルド・シュワルツェネッガー主演の映画『コマンドー』エンディングテーマ曲「WE FIGHT FOR LOVE」を手掛けて、ここでパワー・ステーションのプロジェクトは一応の終了となった。1985年、パワー・ステーションとアーケイディアに別れて活動していたデュラン・デュランは、本国イギリスの映画『007/美しき獲物たち』(原題:『007/A VIEW TO A KILL』)の主題歌を担当したくらいで、ライブは7月の「ライブ・エイド」のみではあったが、パワー・ステーションが収束し、アーケイディアのプロジェクトも目処が付いた1985年秋になってからようやく活動が本格的に再開された。待望の新作アルバムのレコーディングから始められ、お気に入りのナイル・ロジャースをプロデューサーに迎えたものの、ドラムのロジャー・テイラーは実家の農業に専念するために脱退(ちなみに、テイラー[Taylor]という名字はイギリスでは一般的で、ジョン、アンディ、ロジャーには血縁関係はない)、アンディ・テイラーも当初はレコーディングに参加していたのだけど、「オレがやりたいのはこんなことじゃない!」とばかりに途中で脱退してしまったのだ。アルバム『THE POWER STATION』のライナー・ノーツに書かれてあることで、ジョン・テイラーいわく「アンディを檻から出してやった」との表現どおり、アンディ・テイラーはパワー・ステーションのプロジェクトで目覚めてしまった。パワー・ステーションのプロジェクト開始時、ジョン・テイラーがアンディ・テイラーと一緒に作ったデモ・テープをロバート・パーマーに聴かせたところ、彼は以前からデュラン・デュランは聴いていたはずなのにアクティブでコンテンポラリーなギターが誰なのか全く判らなかったらしい。それほどまでに、デュラン・デュラン在籍時のアンディ・テイラーは才能の一部しか表せてなかったのだ。デュラン・デュランから脱退した翌年の1986年、アンディはセックス・ピストルズのスティーブ・ジョーンズをプロデューサーに迎えて、『MIAMI VICE』のサントラ・アルバム用に「WHEN RAIN COMES DOWN」を作って提供した。その頃、『MIAMI VICE』は第3シーズンに突入していて、麻薬の運び屋に化けている潜入捜査刑事の主役、ドン・ジョンソン演じるソニー・クロケット刑事のアイコン・アイテム、フェラーリがそれまでのクラシカルな黒いデイトナ・スパイダーから当時最新の白いテスタロッサに新調されて話題を集めていた。「WHEN RAIN COMES DOWN」は、そのフェラーリ・テスタロッサ初登場回「STONE'S WAR」(日本での放送時サブタイトル「衝撃のスクープ!美人ニュースキャスター惨殺事件!!」)でカーチェイスの場面に使われるという、じつに印象的な場面で掛かっていく。アンディは他にも「TAKE IT EASY」などシングル曲を作り、1987年には満を持してソロアルバム『THUNDER』を作る。そして、このアルバムをひっさげてワールド・ツアーが行われ、来日公演もしている。さて、デュラン・デュラン方面の話はこのくらいにしておいて、ロバート・パーマーのほうに話を移そう。アルバム『THE POWER STATION』レコーディング後に、バーナード・エドワーズをプロデューサーに迎えて作ったアルバムの『RIPTIDE』のサウンドは、まさにパワー・ステーション第二弾という趣であった。“パワー・ステーション効果”で日本でもヒットし、さらには来日公演も果たしている。ステージでは、アルバム『THE POWER STATION』収録の「SOME LIKE IT HOT」も披露するなど、パワー・ステーションのライブツアー参加はキャンセルしたものの、プロジェクト自体は大いに気には入っていたかと思う。その後、パワー・ステーションは十年余りの時を経て1996年に一度リユニオンをしている。デュラン・デュランから離れていたアンディ・テイラー、ロバート・パーマー、トニー・トンプソン、プロデューサーのバーナード・エドワーズまでは集まったが、もっともパワー・ステーションというプロジェクトに思い入れがあったはずのジョン・テイラーは参加しなかった。80'sが日本だけではなく世界的にも全否定されていた90年代半ば、その再結成アルバム『LIVING IN FEAR』は内容的にも売り上げ順位的にも精彩を欠くこととなった。当時、自分も『LIVING IN FEAR』にはイマイチ感がどうしてもぬぐえなかった。でも、この年にバーナード・エドワーズが日本で客死、2003年にロバート・パーマー、トニー・トンプソンが相次いで亡くなるなどしている。いまさらながら、『LIVING IN FEAR』のプロモーションで来日したときの公演を観に行っておけば良かったかなあと惜しい気持ちでいっぱいである。

















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