永遠の夢に向かってTHE UNDERTONES
THE UNDERTONES
THE UNDERTONES
北アイルランドの紛争の歴史
「ティーンエイジ・キックス」ジョン・ピールが聞いて号泣した曲。ぼくも未だにこの曲を聞くと胸が熱くなる。ジョン・ピールはこの曲を自分の葬式の時にかけてくれといっていたそうだ。彼は棺桶の中で泣いていたことだろう。ぼくもこの曲を葬式の時にかけてほしい。なんでこの曲が素晴らしいのかよく分からない。この曲には子供の頃の初恋の熱い思いが込められている。初恋なんて清いもんじゃないか。隣の女の子も、その隣の女の子も好きというセックスの歌だ。女の子がこの気持ちが分かるのかぼくには分からないので、ぼくの彼女が帰ってきたら聞いてみようと思う。彼女がどう言うか楽しみだ。でもこんな青年期の恋の歌なんか何万とあるのに何でこの歌はこんなに素晴らしいのだろう。40歳になっても何で体が熱くなるのだろう。ぼくが何歳で死ぬかしらないが、多分80歳のぼくもこの曲を聞くと胸が震えると思う。どんなマジックがあるのかこの曲をコピーしてみた。ただDからちょっとずつ下がっていって、またDに上がるだけの曲。サビはGとA、たったそれだけの曲だ。でも何で胸がときめくのだろう。この曲に影響を与えたラモーンズのどの曲よりも。この答えは間違っているかもしれないが、それは北アイルランドで政治的、宗教的に毎日苦しんでいた彼らの気持ちがこのマジックを生んでいるんだとぼくは思う。ヴォーカル、ファーガル・シャーキーの言葉を借りるなら「政治や環境についての曲を作らない理由を話したくなかった。ぼくたちが住んでいる所は危険だ。忠誠心などを示したらトラブルに巻き込まれる。今だに状態は変わることなく続き、ぼくやちは同じ話を永遠にしている。皆 夢を見すぎたんだよ。400年も拘束されてきた土地を癒し、平和にしたいだなんて夢物語だ。ぼくたちは毎日あの土地の空気に触れてきた。毎日苦労してきたんだ。朝学校に行く時にも止められて尋問される。ぼくたちがライブハウスで毎週土曜日ジョッキ3杯で酔う意味、それは完全な現実逃避だ。観客、つまり、同士は説教なんて望んではいない、政治や社会はどうでもいい、何も変わらなくても、ギネス3杯で土曜の朝を迎えられる。」。これが答えだと思っている。アンダートーンズのサウンド、メロディから感じる優しさの秘密はこれだとぼくは思う。アンダートーンズはアルバム『クライシス・オブ・マイン』で北アイルランドで起こっている事実を歌に込めようとした。血の日曜日事件で捕われたIRAのテロリスト(あえてこう言わしてほしい、彼らのファンのお兄さんだった)が釈放されたことについての曲「ユア・ウエルカム」、北アイルランドでのハンガーストライキーの主旨に曲をつけた「イッツ・ゴーイング・トゥ・ハプン」では“こういうことはいつでも起こる、あなたが考えを変えるまで”と歌われる。この曲はトップ・オブ・ザ・ポップスでも歌われた。ぼくの友達が爆弾テロで死んだとしても、ぼくはイスラムの人を憎めない。イスラムの人をそこまで追い込んだ人たちを憎む。アンダートーンズには素晴らしくポップな曲がたくさんあります。聞いてみてください。ジャケットも気のきいたのがたくさんあります。
『久保憲司 ロック千夜一夜番外編』より
バンドメンバー
・John O'Neill (ジョン・オニール) ギター
・Michael Bradley (マイケル・バードレイ) ベース
・Billy Doherty (ビリー・ドへルシー) ドラム
・Damian O'Neill (デミアン・オニール) ギター
・Paul McLoone (ポール・マックロー二) ボーカル
元メンバー
・Feargal Sharkey (フィアゲル・シャーキー) ボーカル
結成年:1976年
結成場所:デリー、北アイルランド
代表アルバム
・The Undertones (ザ・アンダートーンズ)
・Hypnotised (ハイポノティスド)
・Positive Touch (ポジティブ・タッチ)
等
代表曲
・Teenage Kicks (ティンネージ・キック)
・Get Over You (ゲット・オーバー・ユウ)
・Jimmy Jimmy (ジミー・ジミー)
・My Perfect Cousin(マイ・パーフェクト・カズン)
等。ティーンネージキックは良い!
アイリッシュのバンドを紹介します。このバンドはパンクのピーク時のデビューということもありピストルズ、バズコックス、クラッシュ、ラモーンズにモロに影響されています。初期の曲はラモーンズを彷彿させます。短くて勢いのある曲がカッコいいです!John(ジョン) と Damian O'Neill (デミアン・オニール) の兄弟は60年代のガレージ、70年代のグラムロックに大きく影響され育ちます。ボーカリストのFeargal Sharkey (フィアゲル・シャーキー) と出会いバンドを始めます。元々はカバーバンドとして活動していました。1976年頃にはパンクのピーク時だった為、バンドはThe Sex Pistols(セックス・ピストルズ)、Ramones(ラモーンズ)、The Clash(クラッシュ)等に影響をされ始めます。1977年迄にはオリジナルのパンクの曲も始めます。同年の2月には“Teenage Kick(ティーンネージ・キック)”をコンサートで演奏します。夏にはデモテープを製作します。そのテープを各レコード会社に送り連絡を待ちますが、一行に来ません。タダ一つ連絡があったのはBBCのラジオDJのJohn Peel (ジョン・ピール)です。ピールはバンドの曲を気に入り、彼のラジオ番組で流しました。しかもピールはバンドのレコーディングをサポートするとまで言ってくれました。1978年の夏、ピールのおかげで、デビューEP Teenage Kicks(ティーンネージ・キック)を製作する事が出来ます。ピールのサポートの甲斐もありこの曲はヒットと成ります。リリース直後より、デミアン・オニールは観客よりサインを求められるように成ったそうです。1979年にデビューアルバムと成るThe Undertones(バンド名と同じ)をSire Records(シアー・レコード)よりリリースします。そして同年の秋、バンドは名誉となる、The Clash (ザ・クラッシュ)とのアメリカン・ツアーに向かいます。新しいアルバムHypnotised(ハイポノタイズド)もリリースします。アンダー・トーンズの初期の“Jimmy Jimmy(ジミー・ジミー)”や“My Perfect Cousin(マイ・パーフェクト・カズン)はラモーンズを彷彿、驚嘆させたという事です。しかし、その後1981年にバンドはレコード会社をEMIに変え次のアルバムPositive Touch(ポジティブ・タッチ)を出して以来、売り上げが落ち込みます。UKヒットチャートは50位止まりです。1983年に次に出すアルバムThe Sin of Pride(ザ・シン・オブ・プライド)では、何曲かソールとサイケデリックな曲のカバーをいれ、ずいぶんと違った方感じと成ります。前回のアルバムより多少印象が良かったのか、UKチャートは多少伸びますが、46位迄です。バンドはボーカルのSharkey(シャーキー)が臆病者の性だと批判し、シャーキーはバンドを辞め、バンドは解散へとなります。シャーキーはその後ソロ活動を始め、オニール兄弟は新しいバンドThat Petrol Emotion(ザット・ペトロール・エモーション)を始めます。このバンドはポリティカルなバンドで、ちょっとダンス・ロックな感じですが、僕はたまに聞きます。今度機会があったら改めて紹介します。1999年にバンドは再結成しますが、新しいボーカルPaul McLoone(ポール・マックローニ)をバンドの地元デリーで起用します。そして現在に致します。
『ニューヨーク 60-80年代 ロックコンサート』より
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